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上映後の対談から(藤井克徳さん&海老原宏美さん)

監督の宍戸です。
昨年12月14日、川崎市で開かれた「風は生きよという」上映会で、上映後に対談された藤井克徳さんと海老原宏美さんによるお話が素晴らしかったので、遅ればせながら要約させていただきました。ぜひ、ご一読いただけたら幸いです。

                                 「風は生きよという」上映後の対談から
とき:2015年12月14日
ところ:多摩市民館大ホール
主催:NPO法人らぽおる
対談:藤井克徳さん (日本障害者協議会代表)
    海老原宏美さん (映画出演者、自立生活センター東大和理事長)

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1.映画への感想
―まずはじめに、藤井さんと海老原さんから映画への感想が述べられました。

藤:この作品からは、与えられた人生を生きるのではなくて、生きることを獲得して行くんだというメッセージを強く受けとりました。

海:この作品は“障害”切り取って描くのではなくて、その人の生活や人生、あり様をトータルに描いている。常々、障害を特別視するのでなくて、そのままのその人を受け止めてほしいと思っていた。また、意思表明ができるかどうかが人間にとって一番重要なのではなくて、自分の目の前にいる相手のことを、お互いに認め合えるかどうかが大切なのだと感じている。

藤:日本も2014年に批准した障害者権利条約。この中でいちばん短い条文は、17条。そこにも、”社会や家族は障害をそのままの状態で尊重する”とありますね(注1)。

2.生きるに値するいのち、値しないいのち

―続けて藤井さんから、国会で議論されている尊厳死法案への危惧と昨年夏のドイツでの経験が伝えられました。

藤:尊厳死法案というものが国会で議論されていますが、死に「尊厳」や「安楽」なんて言葉を与えるのはカモフラージュでしかないと思うんです。昨年夏、NHKの番組取材でドイツを訪問してきました。ナチスによるユダヤ人虐殺の前には20万人にものぼる障害者が虐殺されていました。そこでは、「生きるに値しない命」という線引きがされていた。”生きる価値”の基準が、「働けるか・働けないか」「生産性が高いか・生産性が低いか」という点に置かれ、働けない人、生産性が低いとみなされた人間は生きるに値しないとされた。時間/空間を超えていまの日本でも、同じような価値観が広がっているんじゃないかと、危惧しています。

3.障害者を見る社会の目

―上の話を受けて、海老原さんが藤井さんに問いかけます。

海:私は月590時間のヘルパー派遣を受けているんですね。そうすると、私の介助のために月々150万円くらいの税金が掛かっている計算になる。もし、「障害者はお金ばかりかかる存在だ」「迷惑だ」と言われたとしたら、藤井さんはどう答えますか?

藤:お金はむしゃむしゃ食べるものではなく、循環するもの。消えてなくなるものじゃない。ヘルパーを利用することで雇用創出にもなるし、買い物をしたりすればお金は社会に拡散して行くもの。私は「重度の障害者」という言い方はあまりしたくない。「ニーズが多い人」と言っている。こういう人たちは、社会に何かを気づかせる力を持っている、社会のフロントランナーだと思う。
また、OECD(経済協力開発機構)加盟国のGDP比で比較しても、障害者への公的支出の割合が日本は低いです。

4.いま日本が進んでいる道

―話は、現在の日本政治へと向います。国民をひとつの方向にまとめようとする強権な政府への疑問が、噴出します。

海:いま「一億総活躍」社会を唱えている日本政府。“活躍”の定義は何?誰が決めるの?という疑問が拭えません。

藤:「一億総特攻」とか「一億総懺悔」とか、政治が「総」をつけてくると危ないですね。日本がまた間違った道を進みはじめている気がします。

海:2018年からは義務教育の現場で道徳が教科になる。それまで道徳の「時間」だったものが、教科として評価がつけられるようになる。それは、生徒ひとりひとりの内心を評価するということ。道徳の基準はそもそもあいまいなものだし、つくりようがないはず。それをあえて評価しようとするのは、国家の考えに沿う、国家に都合のいい人間をつくろうとしているからとしか思えない。

藤:ドイツの経験に照らして考えると、弱い人を排除しようと仮に障害を持った人が社会から消されると、次の弱い人探しをはじめる。高齢者、病気の人…と「弱いもの探しの連鎖」がどこまでもつづいていく。厳しい状況の障害者を守ることは、強靭で足腰の強い社会をつくることにつながる。その意味で、社会が障害者にどう対応してるかは、その社会の人権を測るバロメーターになっている。

5.障害とは何か

―ご自身の経験から、海老原さんが「障害」とは何かを述べていきます。

海:私は幼い頃からずっと、周りに自分をフォローしてくれる人がいたので自分が障害者だと感じなくて済んできた。「自分は障害者なんだ!」と思い知らされたのは、大学3年の就職活動の時。「あなたは障害があってひとりでは何も出来ないでしょ」と企業はエントリーシートすらも受け付けてくれなかった。障害は、その人の暮らす環境や価値観によって生み出されるものだと痛感した。インクルーシブの根本にある「分け隔てしない」、「一緒にいる」ということがとても大事だと思う。

藤:これまでは「障害」というのは個人の属性としてのみ見られてきた(医学モデル)。しかし、「障害」は元々社会にあるんだ(社会モデル)という考え方が広がってきている。
ただ、そうは言っても、という経験を去年スペインでしてきた。どうしても、ピカソの有名な「ゲルニカ」の絵を見たくて、スペインに行った時のこと。私は全盲のために絵が見えないので、ゲルニカを見ている人に1人5分ずつで「この絵はどういう絵ですか?」と尋ねて、説明してもらった。6人にお願いしたんだけれど、その説明の内容がみんな違っていた。笑
障害をどう考えるかという時に、基本的には社会モデルでいくけれど、これからはそれに加えて医学モデルによる考え方でどう足りない部分を補っていくかが課題になるなと感じた。

6.社会運動をいかに進めていくか

―おわりに、障害のある人が街へ出て行くことの意義を、ふたりは語ります。

藤:4月からは、障害者差別解消法も施行される。これから、どうやって柔らかい運動をつくっていくかと考えている。北風と太陽でいえば、太陽の運動。それを実現していくためには、社会運動が文化と組むことが大事だと思う。音楽や映像、文芸や文学などと組んで進めていくことが、運動が世の中の人に浸透する大きな力になると思う。
障害者権利条約には、「たたかう」という言葉が1ヵ所だけ、使われている。それは、第8条。「定型化された観念、思い込みや固定観念とたたかう」とこう記されている(注2)。このたたかいは続けていく必要があると思います。

海:映画に出てくる八王子市立弐分方小学校の子どもたちと、先月1年ぶりに再会した。6年生の子は去年階段の上り下りの時に私を運んでくれた子たちだった。1年経ってもちゃんと覚えていて声をかけてくれて、運び方も前より上手くなっていた。1日の触れ合いだけでも及ぼす影響はある。

藤:「平等」の反対概念は「差別」ではなく「無関心」。私たちの姿を世の中の人に見てもらうことが大事。障害を持った人をどれくらい街の中で見かけるか。その姿をどれほど人の意識に浸透させられるかだと思う。

以上

※(注1) 障害者権利条約 第17条 「個人をそのままの状態で保護すること」
「全ての障害者は、他の者との平等を基礎として、その心身がそのままの状態で尊重される権利を有する。」
Every person with disabilities has a right to respect for his or her physical and mental integrity on an equal basis with others.

※(注2) 障害者権利条約 第8条 「意識の向上」
1「締約国は、次のことのための即時の、効果的なかつ適当な措置をとることを約束する。」
(b)「あらゆる活動分野における障害者に関する定型化された観念、偏見及び有害な慣行(性及び年齢に基づくものを含む。)と戦うこと。」
To combat stereotypes, prejudices and harmful practices relating to persons with disabilities, including those based on sex and age, in all areas of life;

注1,2とも、外務省HPから引用。
なお、この文章は対談を正確に文字起こししたものではなく、対談の要旨をまとめたものです。
藤井さん、海老原さんに確認していただきましたが、文責はメモをした私にありますことを併せて記しておきます。
(文責 宍戸大裕)

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