”自立” 自分で立つ。どんな障害があっても。
10年ほど前に、取材で何度かお会いした海老原さん。
更に逞しく 美しく 彼女は自分で立っていました。
”事実”を伝えていく自分の役目を噛み締めながら。
滝川クリステル[たきがわ・くりすてる] アナウンサー
『宇宙兄弟』でALSに興味をもった人にぜひ観てほしい。
ALSを知ってどんな病気か理解することが、
ALSの患者を助ける第一歩になるからだ。
佐渡島庸平[さどしま・ようへい] 株式会社コルク代表取締役社長
重度障害を持ちながらも自由を求めて施設を出た人。
ただ生きるために気管切開をして呼吸器をつけた人。
健常者の私が何気なく過ごしている日常も、
この人たちにとっては大変なチャレンジである。
「生きている」ことを実感するために、
(ただ息をするために必要なさまざまな事以外にも)
健常者であれば到底しなくてもよい努力を日々重ねている。
地域社会は、いまだこの人たちにとって「当たり前」の場所にはなってはいない。
ここに根付くためには、周囲を変えていかなければならないのだから。
優生思想に晒され、存在を否定され、死ぬ自由を突き付けられ、
それでもなお地域社会に分け入っていく勇敢な呼吸器ユーザーたち。
今までこんな風に彼らを見たことはなかった。
映画になるって凄いことだ。
存在理由を獲得していく彼らの姿が逞しく眩しく映っていた。
世界を救うヒーロー・ヒロインに見えてきた。
川口有美子[かわぐち・ゆみこ] 作家・日本ALS協会理事
何げない日常風景が心にしみ入る映画だ。
東京・大阪・北海道と、
それぞれの地域で人工呼吸器をつけ、
「普通」に暮らす重度障害者たち。
友人や家族と囲む食卓に、
地域の子どもたちとの交流に、
公園の木漏れ日の中に、
人が生きてゆくことの輝きが
キラキラと映し出されている。
渡辺一史[わたなべ・かずふみ]ノンフィクションライター
映像と音声とがあって、それで生きていることの感じが伝わってくる。
当たり前といえば当たり前だけれど、やはりそう思う。
大きな声ではないけれども、元気な感じ、とか。
じっと動かないけれども、その人の なかが動いている感じとか、見透かしている(ように見られる側が思ってしまう)感じとか。
時々ではあるけれど人工呼吸器のユーザーに会ったりすることがある私にとっては、
なんだが当たり前になってしまっているところがあって、それが字を書くだけの私の文章で
伝わってるのだろうか、だいじょうぶだろうとか、と思ってしまう。
でも共存共栄、だ。私(たち)は、尊厳死法って何だとか、この人はどんな人だ、とか、
解説をしたりおまけの情報を集めて知らせていたりしているし、これからもするから、こちらもよろしく。
そうだ、と思ってここから、海老原宏美さんとか、児玉真美さんとか、渡部哲也さんとか、
それから自生活センターだとか、呼ネットだとか、人工呼吸器をつけた子の親の会<バクバクの会>だとか、
その、尊厳死だの安楽死だの、
そしてまずは人工呼吸器だとか、こちらにあるページにリンクさせてみた。
少ないあるいはすこし多い情報があります。映画を見てからご覧ください。
と書いていたら、公式サイト以外にこちらにも、ページを作ればいいんだと思った。
それで作ってみた→『風は生きよという』。あまり更新できないだろう、文字だけのページになるだろうが、ごらんください。
立岩真也[たていわ・しんや] 立命館大学教員
人が人として生きるという当たり前が、
障害があることでいかに阻まれているか、
どれだけ私たちは知っているだろう?
この映画を観るまで私は呼吸器の存在も、
気管切開して、呼吸器を装着する時に意志を確認される、
ということも知らなかった。
健常者は障害者の事を理解するというより、
私を含めた多くの人々が何か、自分とは違う存在、
かわいそうな人たち、と捉えているのかもしれない。 鎌仲ひとみ[かまなか・ひとみ] 映画監督
一人一人に個性があるように、
障害もまた、個性として考えられないのだろうか?
という思いが映画を観ながら私の胸に湧いてきた。
海老原さんという希有な個性が、この映画をリードしている。
どこまでも、障害者としてではなく、
自分として生きようとする意志がくっきりと伝わってくる。
そのために彼女は障害者自身が障害者の自立を助けることで
自立していく運動に参加している。
彼女の意志が風のようにこの映画の隅々に吹き渡っている。
また映画には何人かの障害を得た人たちが登場する。
その一人一人にもし、自分だったらと
自然に重ね合わせてしまうような優しいまなざしがこの映画を貫いている。
私は「障害を個性とかんがえられないだろうか」、と書いた、
がしかし、一人一人が抱える障害は言葉そのままに簡単なものではない。
様々な人的・社会的サポートが必要となってくる。
それが、ここ日本では障害者の方たちに
「生きる罪悪感」を与えている現実も見えてきた。
まさしく、そこを権力はついても来ている。
この部分こそが核心。
人の生きる尊厳とはどこにあるのか、私たちは深く問われている。
また、生きるって何?という問いも同時に。
その人がまとう、ありとあらゆる外見を脱ぎ捨てて、
命そのものの存在が、そこにあるのではないか。
障害があっても、自由に、自立して自分自身の人生を送ることができる、
そんな場所に私たちの社会がなるように、私たちに何ができるのか?
まずはこの映画を観よう!
私の息子には「ダウン症」があります。
海老原さんには「人工呼吸器」があります。
「フツー」の人には、それらはありません。
ところで「フツー」っていったい、なあに?
息子のことも、海老原さんのことも、
それぞれ、知ってしまえば
「フツー」というフシギ。
いつ、「死」という「終わり」がやってくるかなんてわからない。
お互いに、いつ死んで消えてなくなるかなんてわからないから
生きているあいだはただ、存分に楽しんでいくだけ。
奥山佳恵[おくやま・よしえ] 女優・タレント
ダウン症があってもなくても
人工呼吸器があってもなくても
今を生きている、ということは、
おんなじことだと思います。
- 重い障害を持っていても、地域で生活を送っている様子を見ることができて感動しました、暗さがなく、前向きに生活している印象があってとても励まされました。
- 呼吸器をつかっていても自分のしたいことをやり通しているのが良かった
- 地域の人に見せたくなる映像だった
- 当事者の生の声、親からの視点など多目的に捉えていた
- 淡々と映し出される皆さんの日常の姿に、「風は生きよという」というタイトルがとてもピッタリだと思いました。親の気持ちや、試験一次不合格のシーンとかがドキュメントとしてリアルでいいと思いました。生の姿というか、きれいごとでなくて良い。尊厳死の選択は、個々の選択なので誰にも決められないけど、この映画で「生きる」ことにすすめる(当事者も周囲も)そうなるといいと思います。
全国のたくさんの障害者に観てもらいたい映画でした、感動しました。 - 医療的ケアと言われると、どうしてもマイナスイメージを持ってしまうが、とてもポジティブな気持ちになれました。また、家族とともに支えあいながら生きるって幸せだなと思いました
- 医療的ケアが必要であっても、地域で元気に暮らしている姿をみることで「尊厳死」に対する社会の考え方や考えるきっかけになると感じた
- 自分の自立生活のスキルアップになりました
- それぞれの登場人物の生活やその人、家族の思いが短時間でまとめられており「生きること」について考えさせられた。多くの人に見てほしいと思った
- 今まで呼吸器を使って生活している方と関わったことがなかったので勉強になりました、自分の地元でも上映会をやってみたいと思いました。
- 映像に出てくる3家族がとても素敵で、家族の愛情いっぱいの映画でした。障害はとても重度でも、幸せな家族の物語という印象が残りました。
(その他沢山のご声援を頂きました)