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【報告】劇場トーク「風の生れるところ」(Part.1)

監督しました宍戸です。
渋谷アップリンクでは、連日テーマを変えて上映後にトークをしています。
映画を観てもらうことは本当に有難いことです。さらに加えて、何かを得てもらえたならなお有難い。
そんな思いで、このトークシリーズを進めています。
誰かに自分自身の人生を委ねるのではなく、ひとりひとりが生きぬく力を身につける。そして自由を獲得していく。
そういうことが大切だと思い、そのためのトークにしたいと思います。
話された内容を、これから折々にご紹介していきます。
第1回は、初日・午前中の回でお話した内容です。

【2016年7月9日(土)午前の回】

テーマ;「風の生れるところ」
ゲスト;海老原宏美さん(出演者)、末森樹さん(音楽)、宍戸大裕(監督)

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(宍戸大裕監督)
みなさんこんにちは。今日は雨の中お越しくださりありがとうございました。監督しました宍戸です。隣に座っているのは、きょうは一段ときれいな、主演女優の海老原宏美さんです(笑)。

(海老原宏美さん)
どうもこんにちは(拍手)今日は皆さんお越し下さりありがとうございます。

(宍戸)
僕拍手なかったんですけど(笑)海老原さんさすが(笑)

(海老原)
きょうはオープニングの日ですので、はじめに私たちの思いをお話しさせていただきます。もともと映画製作のきっかけになったのは、映画に出てきます「尊厳死法制化」という話でした。いま国会の中で、”死ぬ権利”とか”死ぬ自由”ということが議論されてきてる。その法案の中に、生命維持装置を含む医療的な処置を止めることができる、というような文章が入ってるんですね。その生命維持装置の中に人工呼吸器も含まれますので、この法律がもし通ると、人工呼吸器を使ってる人とか、使わなければならなくなる人が「尊厳死」のターゲットになってくるんじゃないかという危機感がすごくありました。
みなさん「人工呼吸器」って聞いたとき、どんなイメージを持たれますか?よくいろんな場で聞くと、もう「ICUで使うもの」とか「ベッドの上で寝たきりで、たくさんのチューブにつながれて、コミュニケーションが取れなくて、ご飯も食べれず、一生そこで過ごさなきゃいけない」といった、すごくネガティヴで暗いイメージを持たれてる方がほとんど。
私とか小田さんのように、人工呼吸器を使いながらでも地域で生きていくことができるんだという情報が知られてないために、そういうネガティヴなイメージだけが先行して、そんな生き方までして延命されたくないって思ってしまうことで、私は人工呼吸器は使いませんという選択をしてしまう方が多いんですね。それを、変えていくためには、自分たちの姿を知ってもらうことが大事なんじゃないかなと思って、映画をつくろうと。それで監督に頼んだところ、「やりましょう」と言ってくれた。

(宍戸)
僕は前作で東日本大震災で被災した動物たちのことを映画にしたんですけど、その時感じたことと、今回人間の現場で感じたこととすごく共通するなと思ったのが、「命の価値」ということなんです。”価値のある命”、”価値のない命”っていう風に、社会で固定化されてる価値観、命に序列がつけられているということを、今回も感じました。
例えば、重度の障害を持ってるとか、体が動かなくなってくると社会の役に立たないと思って命を断ってしまうとか、「尊厳ある死」という美名のもとに、殺されてしまうとか。これは僕自身が、社会の役に立っていないと自覚してるので、社会の役に立ちたくないと思ってるので、まあ、「役に立ちたくない」というと説明しなきゃいけないので、時間がないのでニュアンスで受け止めてください。うん、活躍したくないと思ってる(笑)。そういう、「活躍」を強要されるすごく息苦しい社会になっていくのが嫌で。でも、この重度の障害がある人たちの現場で思うのが、すごく伸びやかに生きていて、楽しそうで、とっても心地よい人たちだったんですね。その人たちと何か、一緒に伝えていきたいと思ったんです。

(海老原)
あの、私やっぱり映画の中で、よくしゃべるじゃないですか。この作品を紹介してくれたある雑誌にも「人並み以上によくしゃべる呼吸器ユーザーだ」と(笑)。こう、私みたいに自分の思いを発信できる人もいるけれども、そうでない人もいる。この作品のなかで、新居優太郎くんのところはみなさんどんな風にご覧になりましたか?
重度障害を持っていて、地域の学校で同世代の子たちに揉まれて、学校に入っちゃダメだとかワーワー言われながら、「なんでそこまで地域の学校に行かなきゃいけないのかな」とか、「あれは両親のエゴなんじゃないか」とか色々思われる方がいると思うんですね。
私がいつも思うのは、人っていうのはそこにいるだけで価値があるんだと。そういう風に言っても、ピンとこないと思うんですけど、私が最近例え話で話すのが屋久島にある千年杉のこと。年間何万人もの人が大変な思いをして、会いに行く。杉を眺めて涙を流す人がいたり、自分の人生リセットされたり、勇気をもらったりとかして、帰っていく。でもあれ、ただの杉なんですよ(笑)。ただあそこに立ってるのあの人。人じゃないか(笑)何かを言うわけでもない、的確なアドヴァイスをするわけでも、雄弁に語るわけでもない。そこに人が勝手に価値を見出していく。つくりだして、自分の中に何かを受け取って帰っていく。その杉に価値を見出すことができるのに、そこに寝て呼吸器をしている人間に価値を見出せないというのはなんなんだと思うんです。ひとりひとりに、価値があるかないかではなくて、価値というのは人がつくり出すもの。今回の上映活動を通して、人の価値をつくり出していく、見出していくっていうことを大切にしたいと思ってます。

(宍戸)
最近ようやく感じてきてるんですけど、海老原さんもそこにいる小田さんも、24時間介助者が一緒にいるんですね。自分の生活を常に誰かに見られてる。それも初めて会った人やまったくの他人に。その中で、自分の思いを伝えてわかってもらう、そのしんどさ。人は人と向き合う時に、関係がいい時はいいですよ。問題は起きない。でもどこかでぶつかったときに、問われることってたくさんあって、多くの人はそれでもう終わりにしてるんじゃないかな。次にもう移っちゃう。でも、海老原さんたちはそれをしてしまうと、その日から生活が回らなくなる。だから、いかに健常者と呼ばれる介助者に依存して生きていかなければならないか。依存というか、関わってもらうために、いかに努力をしてるかということを感じて、すごいなと。すごいなと本当に思い始めました。あした参議院選挙があって、いろんな人がそれぞれに主張をぶつけ合って、それで終わってしまってる。自分の主張が固定化されて、決して交わらないところで対話が成り立たない。そういうのをこの人たちは、もう普段の生活から乗り越えていって、いつもしんどい思いしながら、自分のことをわかってもらう、相手のことをわかろうとする、そのしぶとさ、粘り強さに、感銘を受けてます。

(海老原)
はい。何が大変って、医療機器を使いながらとか安全管理とかっていうことよりも、他者とともに生きていかなくちゃいけない、ということが一番しんどいですね。障害者としては。でもそこが一番面白くもあるんですよね。分かり合えたときとか、自分の思いを伝え切れたときの感動って、ほんとにね、すごいいいんですよ。その感動があるから重度障害者やめられないなって。まあやめたくてもやめられないんですけど(笑)
そこが、面白いって思えると楽しく生きていけるのかなと思う。この上映活動も、トークも、伝え続けること、発信し続けることが大事かなと思う。一方的に見てもらってわかってくださいねってことじゃなくて、皆さんからの反応だとかを受け取りながら、やり取りができるような上映活動にしていくことが大事かなと思います。これから3週間、いろんな人との気持ちの交流を大切にやっていきたいと思いますので、これからも応援よろしくお願いします。(拍手)

(末森樹さんの生演奏)

以上

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