劇場トークのご報告、第4弾をお届けします。
【7月12日(月)】
テーマ;「Tokyoひとり暮らし」
ゲスト;岡本千春さん(呼ネット)、宍戸大裕(監督)
(宍戸大裕監督)
皆さんこんにちは。今日は暑い中お越しくださいまして、ありがとうございます。今日お招きしましたゲストは岡本千春さんです。海老原さんや小田さんと同じように、人工呼吸器を使いながら地域で生活されている方です。
(岡本千春さん)
よろしくお願いします(拍手)。監督のするどいツッコミが、ちょっと心配なんですけれども(笑)。三日間、すごくいいペースでお客さんに入ってもらっていて、今日は私のトークでドキドキしていて、「お客さんが少なかったらどうしよう!?」と思っていたんですけれども、こんなにもたくさん入って頂いて、本当にホッとしています。私は東京に来てもう15年なんですけど、もともとは奈良の田舎で育ちました。奈良の大和郡山市というところなんですけれども、みなさん知ってますか?金魚が有名で金魚すくい全国選手権というのがあるんですけれども、そこの出身です。
(宍戸)
二十歳くらいまで奈良にいらっしゃったんですよね?
(岡本)
えーと、24,5歳ですね。ちょっと、こう言うと年齢がばれちゃうんですけれども。たぶん皆さん頭で計算をされて、年齢がばれてしまっていると思うんですが(笑)。
(宍戸)
僕よりはるか上なんですよね。
(岡本)
はるか上って…(笑)
(宍戸)
ちょっと…ちょっと上、ですね(笑)。岡本さんは、筋ジストロフィー?
(岡本)
そうです。筋ジストロフィーです。進行性で、呼吸器は10年ほど前から付けています。小学校中学年くらいの時から走りづらくなっていって、徐々に歩きづらくなって。小学校の時は、なんとか歩いて、普通中学校に行って、高校から車いすを使うようになった、という感じですね。高校も普通校で。ただ体力がなかったので、通信制で。週1回、学校に行くっていうスタイルだったので、週に1回親に送り迎えをしてもらって通っていました。それで四年ですね。四年で卒業。19歳で卒業です。
(宍戸)
高校を四年で卒業して、その後はどうしたんですか?
(岡本)
本当は大学に行きたかったんですけど、外に一人で出られなかったのと、体力もなかったので、家で過ごしていて、私は家にいるのが嫌で。というのも父親のことがあまり好きではなかったのと、あと母親が、私のことを思ってなんですけど、いろいろ言ってくるんですね。“早く寝なさい、早く食べなさい、早く起きなさい”。生活リズムの正しい人なので、ただそれが私にとっては自由ではないと感じたんですね。それで家を出ました。21の時ですね。二十歳で障害者年金というのがもらえるんですけれど、それを一年間ためて、21になる一か月前に家を出ました。
(宍戸)
東京に来られたのが24~5ですよね。じゃあその間は奈良で…。
(岡本)
奈良で、一応ひとり暮らしをしていました。
(宍戸)
お父さんが嫌いだったっていうのは、何でですか?
(岡本)
多分、かまってほしかったんでしょうね。仕事一筋だったので、早く仕事に行って、家に遅く帰ってきて。休みのときはダラダラして。かまってほしかったんだと、今では思います。
(宍戸)
ほんとですか。なんか、「いい話」になってますね(笑)。
(岡本)
そうですね。いい話ですね。
(宍戸)
ほんとは何か、「臭かった」とか、何かそういうよくあるパターンじゃないんですか(笑)。
(岡本)
あのー…
(宍戸)
すみません…無理しなくていいですよ(笑)。好きだったわけですね。
(岡本)
今は好きですよ。はい。
(宍戸)
それで21でひとり暮らしをはじめて、自分で何でもやってたんですか。
(岡本)
最初は自分で掃除もやってたし、調理もやってたし、洗濯もやってたし。買い物はできなかったので、母親に買って来てもらって。あとは全部自分でやってましたね。
(宍戸)
介助を利用するようになったのはいつからですか?
(岡本)
一人でやってたんですけど、進行性なので徐々に進行して、だんだんできなくなっていくことが増えていって、また当時ヘルパー制度もなくて、田舎っていうのもあって人がいなかったのと、私に制度の知識が全然なかったので、介助は親。親が出来なくなったら、「施設か病院か」という究極の選択しか頭になかったので、だんだん出来なくなったので、いよいよ施設か病院かってなった時に、CILの当事者の仲間が活動しているセンターの人と出会って、こういう制度もあるよ、とかそういう知識も出来て、ヘルパーを使って継続出来たんですね。
(宍戸)
それで、東京に出てきた。
(岡本)
そうですね。奈良で生活をしてたんですけれど、やっぱりヘルパー制度があまり充実していなかったということと、あと私はすごく東京にあこがれを持っていて。都会が好きなんですね。もう都会が大好きであこがれていて、行きたいという気持ちがずっとあったので、東京に来た、というのが一つ。今のは表向きの理由(笑)。本当の理由はですね、奈良で介助を受けて生活していたんですけれど、どうしても悩んでいたことがあったんですね。それは、介助の人にお風呂を頼めなかったんですね。恥ずかしかったんですね。かわいいですね(笑)。今はもう、ほんとにスッポンポンで。“なんでも見て”って感じで。当時は近くに母親が住んでいたので、お風呂だけは来てもらって手伝ってもらっていて。母親もそれが毎回毎回だと大変なんですね。で、もう「帰ってこい」って言うんです。私は、帰りたくない。解決方法は、「介助者にお風呂に入れてもらう」という、すごく簡単なことなんですけど、それがどうしても本当に出来なくて。もうこれは母親が来れないところに住むしかないと思って、呼んでもすぐにこれないところ、東京に来ることを決めました。
(宍戸)
恥ずかしいからお風呂はお母さんに、っていうのは、どれくらい続いたんですか?
(岡本)
2年ぐらい…ですかね。
(宍戸)
2年ぐらい…お母さん、毎日通ってくれたんですか?
(岡本)
毎日は入らないので。
(宍戸)
毎日は入らない。なんかその「恥ずかしい」という感覚、すごく分かりますね。僕、今から介助を使って「じゃあお風呂に」って言われたら、「あ、今日入んなくていいから」って…裏口からいなくなりそうですね。
(岡本)
それをお母さんに。
(宍戸)
お母さんに(笑)。それもすごい嫌ですね。僕、もう34ですからねぇ…(笑)。実は今日、介助をしてくれている酒井さんが…。
(岡本)
…はじめて私の裸を見た人(一同爆笑)。東京に来て3日目、はじめて派遣してもらったヘルパーさんで、「初めまして」って言って30分後に一緒にお風呂に入っていました。
(宍戸)
酒井さん、その時の記憶はありますか?
(酒井さん)
えっと…、まぁ上京されてすぐに介助っていうことは聞いてたんですけれど、本当に初めてお会いして、事前に会うこともなくて、30分くらいお話して、「じゃあお風呂入るから」ということに。本当に30分後に始まったんで、こちらも心して入るようにしたいと思ったんですけれど(笑)、今のエピソードは私、本当に15年目にして初めて知ったお話で、そんなことがあったんだなぁって…(笑)。
(岡本)
話はしているんですけど、聞いていないんですね(一同爆笑)。
(酒井)
ええー…私、初ネタですよ(笑)。
(岡本)
私は当時のこと、そんなに記憶にないんですが、酒井さんは、結構憶えてるんですよね。私に一番最初に頼まれた介助は、近くのコンビニで「漬物を買ってきて」と言われたというのをこの前聞いて。「そんなもの頼んだっけ」っていうのが印象的でした。
(酒井)
20代半ばごろの話なので、お互いに。「若い女性がコンビニで何買うのかな」って思って、漬物を頼まれたっていうのがちょっと意外だったので、よく憶えてるんですけど。
(宍戸)
奈良と言えば漬物、ですね。じゃあその裸を乗り越えて。乗り越えたというかくぐり抜けたというか、脱ぎ捨てたというか。
(岡本)
そうですね、その時はもう必死でした。
(宍戸)
多分、介助を必要としている人は誰もがその道を通るんでしょうね。その時って…なんかこう、自分が一皮むけたっていうか、「これでやっていける」っていう自信になるんですか?
(岡本)
そうですね、現在は「なんでこんなことで悩んでたんだろう」っていうような…なんかそういう「吹っ切れ感」というようなのはありますね。脱いだことで得たことも多いし・・・
(宍戸)
脱いだことで得たことも多い(笑)。ところで、最近引っ越しをされたとか。
(岡本)
はい。ちょうど一週間前に引っ越しをしまして。今、荷解きをするのが大変で。今日も寝不足で・・・
(宍戸)
なんで引っ越しを?15年も住んでたんですよね。
(岡本)
引っ越しって新しい学校とか仕事とか自分の意志でそこに住みたいっていうものだと思うんですけど、私の場合は、そこに住み続けることが出来なくなったんですよね。て言うのは、最近、介助が大変なので、部屋の四隅に柱を立ててポールをつけてレールをつける天井走行という移動のリフトがあるんですけれど、それをつけたいと思って大家さんに聞いたんですよね。そうしたら、まぁ、壁に穴を開けるのはダメとかそういう理由だったら分かるんですけど、そういう理由ではなくて、「介助が必要でそこまで重度になれば、アパートじゃなくて施設に行けばいいじゃないか」、ということを言われまして。いまどきちょっと…と唖然としました。
(宍戸)
それは向こうは全然知らなくて、つい軽~く「施設行ったら?」って感じではなくて、「あなたはもう施設だ!」という感じですか。
(岡本)
大家さんは話も聞いてくれないんですね。管理会社が入っているので、管理会社を通してしか話が出来なくて、直接話すことは出来なかったんですけど、そういう風な情報だけで判断をしてしまったのかなと思いますけど。「15年住んだし、もういいかな」、と思って。職場へもバスに乗って遠かったので、結果的にはいいんですけれども、そう言われたことで、「まだまだそういう風に思っている人たちが社会の中にいるんだな」というのを、すごく感じました。
(宍戸)
海老原さんも岡本さんも小田さんも、地域に出ていくと…ちょっと笑っちゃうんですけど、通りすがりの人に「お大事に」って言われるんですってね。
(岡本)
そうですね、いきなり知らない人が寄ってきて、「お元気ですかぁ~!?お大事にー!」って(笑)。朝、バスに乗って駅まで行くんですけれど、ちょうど中間地点に病院があるんですね。なので、だいたい「行き先は病院ですか~?」って言われるんです(笑)。でも使い続けていると覚えてくれるので。
(宍戸)
「東京ひとり暮らし」という話でしたけれども、なかなか殆どの人は、ひとり暮らしっていうところまで行かないというのが現状なんですよね…。ここに来れない人が本当はここに来てほしいなと思いますね。
(岡本)
私よりも障害が軽い友達でも病院で暮らしている人がいるので。本当に地域で生活してほしいな、と思います。こういう映画を作らなくても地域で当たり前に暮らせるような社会になっていったらいいと思うので、皆さんにこの映画を広めていっていただけたら嬉しく思います。今日は本当にありがとうございました(拍手)。
(宍戸)
今日は本当に暑い中お越しくださいまして、ありがとうございました(拍手)。
以上
(要点採録/文責 入間川仁)