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【報告】劇場トーク「一緒に生きるために必要なこと」(Part.8)

劇場トークのご報告、第8弾をお届けします。

【7月16日(土)】

テーマ;「一緒に生きるために必要なこと」
ゲスト;一木玲子さん(障害児を普通学校へ全国連絡会)、木﨑禎二さん(特別支援学校教諭)、海老原宏美さん(出演者)

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(海老原宏美)
みなさん、こんにちは。今日はお休みにもかかわらずお集まり頂きまして、どうもありがとうございます。上映の後に、来て頂いた皆さんと対話の時間を持つということで、日替わりでトークをしてます。今日は「インクルーシブ教育」についてということで、特別ゲストをお呼びしております。「障害を持った子が地域の学校で障害のない子と一緒に学ぶ場所を作っていく」という運動を熱心にされている木崎さんと一木さんにお越し頂きました。今日はよろしくお願いします(拍手)。
早速なんですが、映画の中で、学校の場面というのがいくつか出てきてますね。私や渡部さんはもう成人して、地域の中での生活というような映像が多かったと思うんですけれども、新居優太郎君はまだ学校に通っていて、映画の中では中学校の場面がメインでしたね。今は高校ですごくエンジョイしているんですけど、その新居君が重度の障害を持ちながら特別支援学校に一回行ってみたけど「なんか違うな」と思って、中学からは地域の学校に通って…ということを受けて、どのようにお感じになりましたか。

(木﨑禎二)
木崎と申します。私は、実は特別支援学校の、昔でいう養護学校の教員なんです。今は、病院の中の院内学級なんですけど、ずーっと、東京に来てからは20数年、特別支援学校の教員なんですけど、その中にいて「地域の学校でみんなで、地元でみんなで一緒に勉強したほうがいいよ」、っていうのをずっと言ってるんです。
「なんで?」って言われることがよくあるんですけど(一同笑)。あの~、よくあります(笑)。でもね、優太郎君が小学校から中学校、地域の学校に行ったというのは、よっく分かるんです。やっぱりね、全然違うというか、子どもたちは、自分で小学校を選ぶわけではないから、子どもたちはみんなそれぞれすごいやっぱり、子ども好きなんですよ。大好きだし、子どもと一緒にいられるのは、こんなにいいことはないんだけど、だけど…う~ん。大人の世界なんですよ、いわゆる特別支援学校は。教員も子どもと同じぐらいいるし。他の看護師さんとか色んな人がいるし。子どものワイワイした声が、無い。別に否定的っていうか、子どもたちの目の前でそんなことは考えてないですけど、ああいう、声がワイワイするところにみんな居てほしいな、っていう風に思っています。だから今日の場面とかは本当に、色々感じるところありました。

(一木玲子)
一木といいます。大学教員をしてまして、「インクルーシブ教育」っていうんですけれども、「障害のある子もない子も一緒に学ぶ学校」というものを研究しています。映画、今日初めて観させてもらって(笑)。まず感想は、海老原さん、食事してる場面多いですね(一同笑)。なんか、常に食べてるなと(笑)。いいなぁと思って観てたんですけど。海老原さんのヘルパーさんが出てましたけど、私も大学時代に障害のある人の介助に入る中で、「障害のある人と障害のない人が分けられてる」っていう社会に気づき、しかも学校もそうなってる。で、「それはおかしいんじゃないか」って思ったし、自分も、分けられてきた。私は、障害は判定的にはないですけど、「障害がない私も障害がある人たちと出会う場を奪われてきたな」ということを非常に感じていて。で、それは絶対、悪影響を自分にも与えているし、学校全体にも社会にも与えているなっていう風に考えたんです。
今日は優太郎さん、映画に出てまして、あまり中学校の生徒さん同士の交流がなかったですけど、いま高校の定時制に入ってすごく楽しいと。この「教育と文化」とういう雑誌の81号で、お母さんの新居真理さんに今の高校生活のことを書いてもらってるんですけど、非常にもう、楽しい。というのは、残念ながら、映画の場面の中学校は優太郎さんの受け入れが、ちょっと難しかったんですね。非常に壁があって。例えば一年生の時に「ずっとお母さんが付き添ってくれ」と言われたのを、だんだんと、片岡さんとか関山さんとか、支援者が一生懸命交渉してそれを無くしていったりとか。だけど修学旅行の時は、やっぱり保護者付き添いを求められて、お父さんお母さん一緒に行って、しかもその費用請求が後から来たんですね。
学校教育っていうのは今、日本の制度が障害のある子とない子を分けてるので、一緒に学ぶっていうのは非常に難しい状況があって。だけど、「それはおかしい」って言って支援してくれる団体もあり、一生懸命「障害のある子とない子と一緒にいるのが自然なんだよ」っていうことを訴えているっていう状況があるんです。いま、高校ではとっても楽しくしてて。避難訓練の時に、階段を生徒と先生一緒にかついで運んでくれたりとか。あと科学部に入っていて賞を取ったので、そのお披露目みたいな、舞台に上がって説明みたいなのを先輩と一緒にしたりとか。
学園祭で科学部のブースにいたら、小学生とかが沢山いて、遠まきに見てるんです。そこでクラブの友達が「まず優太郎さんに『このクラブは何ですか?』と聞いてみてください」とか車いすにベタベタ張り紙をして、というような(笑)。なんか非常に部活を楽しんでいるっていうような話を聞きました。

(海老原)
ありがとうございます。健常者側も「分けられてるんだ」っていう感覚はなかなか持てないと思うんですよね。自分たちがいる学校は「普通」。で、「障害を持った子たちが分けられてる」っていう風に感じると思うんですけど、たしかに逆の見方をすれば、健常者も分けられているなと。すごく新しい考え方だと思います。一木さんは、海外のインクルーシブ教育についてもすごく詳しいんですよね。障害者権利条約というものがこの間国連で採択されて、日本も批准して、なるべくみんな一緒にという方向になって、世界的にはそういう流れになっていると思うんですけれども、ちょっとその説明を簡単にして頂いて。木崎さんからは現場で働いている身としての実感を、少し頂ければと思うのですが、いかがでしょうか。

(一木)
え~時間は、50分までですよね。大学の授業が50分ですので、50分の授業を5分、3分で(笑)。…1970年代ぐらいから、世界的には特に北欧から。それまでは障害者の人は、「排除」ですよね。生まれたときから施設に入る。そういう状況があったわけですけど、それがおかしいということで「施設解体」という動きが出てきます。
1960年代後半に北欧で、70年代、80年代にはヨーロッパ・アメリカ、いわゆる先進国というところに広まった。「ノーマライゼーション」、みなさんお聞きになったことがあると思いますが。「ノーマライゼーション」とか「インテグレーション」とか、そういう言葉が出てきて、障害がある人を排除するのではなく私たちのコミュニティと一緒に、という動きが出てきました。
その中で学校教育でも一緒に、という動きが始まるわけですけど、それがしっかりと書かれたのが2006年の障害者権利条約で、「インクルーシブ教育」ということが書かれ、障害がある人を障害を理由として区別・排除・制限するのは差別だ、と書かれたわけですね。
私はイタリアがフィールドなんですけど、イタリアっていう国は、養護学校がない国なんですね。非常に早く、1970年代に法律が出来て、それまでは養護学校がちょっとあったけど、大部分の障害がある子は家にいて学校教育も受けてない状態だったんですけど、養護学校とか養護学級をなくしていく、という動きがあって。少し昔のものが残ったりはしてるんですけど、「障害のある子もみんな地域の学校に」という動きになっています。「フル・インクルージョン」と言います。
世界を大きく分けると、「フル・インクルージョン」の国、イタリアとかスペインとか、あとカナダっていうのは州制なので州によって違うんですけど、ブリティッシュコロンビア州とか、ニューブランズウィック州とか、養護学校がないんですね。地域の学校で障害のある子も一緒に学ぶっていう形。養護学級も、無い。スペインはあったかな。ニューブランズウィック州とかイタリアとかはないですね。その中で障害のある子が一緒にどうやって勉強するんだろうというと、学校全体を変えていく。学校教育そのまんまで障害児を入れるんじゃなくて、学校教育全体を変える中で障害のない子も居心地のいい学校を作る。そういう流れになってますね。
その「フル・インクルージョン」の国と、日本のように特別支援学校があり特別支援学級があり、ただし普通学級にも障害のある子が学んでる「マルチタイプ」っていうのが二つ目。
三つ目としては、もうしっかり分けていくんですね。ドイツとかも変わりつつありますけど、州によってはまだ、障害があるという理由で特別学級。スイスなんかもそうかな。日本も2013年までは、「障害がある人は特別支援学校に行きましょう」という法律があった。それが変わったんですね。なぜかというと、権利条約を日本が批准したから。そんな大きな三つの流れがあるんです。
例えばアメリカも日本と同じように特別支援学校、特別支援学級、普通学級という三つの場があるんだけど、特別支援学校がどんどん無くなっていったんですね。やっぱり「区別・排除・制限というのは差別だ」という考えがしっかりあるので、州によっては無いところもあって。だから大きな流れで言うと、やはり障害のある子とない子を分ける教育っていうのは、どんどんなくなっていく、という国際的潮流があるのです。そろそろバトンタッチですね(笑)。

(木崎)
日本でも大阪とか関西を中心に運動があって、地域の学校に障害のある子たちが、もう何十年も前から行ってたんです。しかし多くは、やはり分けられてる状態だったんです。実は1990年、私が東京で教員始めたころっていうのは、結構、養護学校の生徒が減っていってたんです。本当に減っていって、入学する子もすごく少なくて、「あ~どうしたんだろう?」って、そういう時があったんですよ。いまから20何年前、「ノーマライゼーション」とか、そういう言葉が養護学校の教員にもすごく入ってきて。「分けるのは良くないんじゃない?」って僕が言ったりしたら、何となく説得力を持ったりした時代があった(笑)。
ただ、2000年代過ぎてからね、爆発的にっていうくらい、すごい増えてきた。特に高等部を中心に。中学から高校へ行くときに、すごく増えてるんですよ。地域の学校にいた子たちが養護学校、特別支援学校に入ってきた。それでね、私、ひとつ冊子を持ってきたんですけど、これは東京都の特別支援教育の計画冊子なんですけど、この中に、特別支援学校、学級に在籍する児童・生徒数が書いてあるんですけど、「予測」って形で書いてあるんです。
それが、実数で平成16年に知的障害5,200人。予測で平成27年には8,800、32年には9,400。予測で「倍ぐらいに増える形で計画しましょう」っていうことを、逆に言ってるんだなぁと。これに合わせて教員の数を増やしたり、学校を増やしたり、そういうのを前もって計画していかないと、いきなりというのは難しいというのは行政であるのかも知れないですけど、最初から増えることを前提にいろんな仕組みをつくってきてるんだなぁ、と。あぁ、増えてるっていうのは、そういうこともあるのかなぁと思いました。特別支援学校では本当に教室が足りなくて、図書室がほとんどなくなってしまうぐらい。で、一つの教室を三つ四つに区切って。もう、そういう感じになってるんですね。「なんでこんなに増えるんだろう」っていうくらい。普通学級の中の生きづらさもあるのかもしれないけど、そういうのが、実感としてあります。

(海老原)
障害者が…計画上増えていく、っていうのはよく分からないですね(笑)。

(木崎)
分かんないですね(笑)。

(海老原)
どういうこと?(笑)

(一木)
子どもの数、減ってるのにね(笑)。

(海老原)
障害者ドンドン増えていくっていうことになりますよね?でもほんとにいま、ブームなのは発達障害って言われてますけど(笑)。ブームですよね?時代にはブームがあるんですよ。呼吸器ブーム早く来ないかなって(一同笑)。もうちょっとですね。映画がもうちょっと盛り上がったら、なると思いますけど(笑)。
日本はいま、「世界の流れと逆行している」ということですよね。私自身はずっと普通校で、やってきたんですね。20年前、30年前というのは、本当に全身性の障害者は地域の学校に入れなかったんです。「トイレ介助誰がするの?」とか、「転んだら誰が起こすの?」とか、「教科書誰がめくるの?」とかいうことを色々言われて、すごい闘って入っていったんですけど、その結果どんなことになったかと言うと、私みたいに成人して、もう来年40ですけど、私。同級生とか先輩後輩とか、結婚して子供を産んで育てているわけですよね。そういう世代なんですね。で、私の先輩とかと最近やり取りをしていて、「実はうちの子、障害があるんだよね」っていうことを言ってくれたんですね。「だけど高校時代にエビちゃんと三年間一緒に過ごしてきたから、周りの人が思うほど自分の中には抵抗感がなかったんだ」って。「『あぁ障害になっちゃった、大変』と思ったけど、まぁ『どうにか育てて行こう』という風に、結構ポジティブに思えた」って言うんですね。「あの時のことを色々思い出して、『じゃあこういう風に工夫してみようかな』とか『こういう支援があったらいいな』っていうことを考えられるようになった」っていう風に言ってて。でも周りの家族や友達からは、「かわいそうね」とか「大変ね」とかすごい言われるんですって。「『でもそんなことないのにな』っていう…なんか周りの意識とのギャップを感じたりするんだよね」、っていう話をしてくれたりするんですね。
だから学校時代に一緒に過ごしてくるっていう、そういう体験が、その学校自体が過ごしやすいかどうかだけではなくて、将来、大人になった後にその効果とか影響っていうのはすごく出てくるんじゃないかなぁ、という風に思ってるんですね。一緒に過ごした時代、「インクルーシブ教育」ということが、そのまま大きくなれば「インクルーシブ社会」という風につながっていくのかな、なんていう風に、私はすごく自分の体験を通して思ってるんです。
えー、あと2分なので(笑)。はい。教育ってそもそも何なのよと、お二人から「教育って、こうなんじゃないの?」っていうことを一言で、一言二言で(笑)お願いします。

(木崎)
教育は…仲間をつくること、かな。私が担任していた英里ちゃんという女の子がいました。20何年くらい前にいた養護学校の子ですが。普通小学校と交流してて、交流会の後にトーキングエイドっていう入力装置で、足で文章を打ってきたんですよ。それはこういう文でした。

「交流の時間でうれしいことは、女の子と遊べることです。悲しいことは、仲間になれないことです」

って打ってきたんです。「あぁ、やっぱり交流じゃ限界がある。仲間にしないと、ダメだな」って思いました。それに気づいた英里ちゃんのすごさとともに心の底から思いました。

(一木)
新居さんの高校の科学部の話で、科学部の同じ生徒さんがですね、「優太郎はきっと物事を考えているけど、それを我々が読み取れないだけだ」「優太郎が私たちに指示して部員が動こう」というような考え方で動いてくれたり、「彼のコミュニケーション手段である機器を一緒に考えて作ろう」という動きもあって、そういうことで、楽しいクラブ生活を送っているんですね。
教育って、仲間作ったりとか、自分の可能性広げるっていうのもあるけど、自分の可能性を広げるにはきっと、仲間が必要なんですね。ポッと言ってくれた友達の一言がヒントになったりとか、優太郎さんみたいな人には絶対仲間が必要で、大人だけでは考え付かないことっていうのをきっとこう…同世代の友達っていうのはポンと出してくれたりということがあると思うんですね。
科学部での面白い話で、「充電し忘れた~、バッテリー作ろう」とか言うらしいんですね(笑)。バッテリー貸してじゃなくて、バッテリー作ろうと。そういうオタッキーなクラブらしんですけど(笑)。そういう優太郎さんのコミュニティを部員さんが作ったら、面白いだろうなと思うし、そういう可能性へも、きっとつながっていくんだろうと思います。
もちろん個人の力を伸ばすというのが学校教育だけど、一人ではできなくって、やっぱりこういう仲間があってこそ。すごいんですよ。イタリアで優太郎さんみたいな人の写真を見せて、この子はイタリアではどんなところにいるんだって聞いたら、イタリアでさえ「この子は病院だ」って言ってました。だからすごい実践であって、日本てトップレベルだなって本当に思うんですね。すごいと思います(笑)。

(海老原)
本当に優太郎君の例って、世界に無いぐらいなんですよね。日本の教育システム全体は真逆を行ってるけど、やっぱりそれは引き戻せる、伸ばしていける可能性っていうのは、まだ日本にもあるんじゃないかなと思っていて、それを広げていきたいなという風に思っております。
お時間です(笑)。今日は本当にどうもありがとうございました(拍手)。

以上

(要点採録/文責 入間川仁)

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