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【報告】劇場トーク「旅は道連れ-誰かがきっと助けてくれる」(Part.11)

劇場トークのご報告、第11弾をお届けします。

【7月19日(火)】
テーマ;「旅は道連れ-誰かがきっと助けてくれる」
ゲスト;海老原宏美さん(映画出演者)、宍戸大裕(監督)

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(宍戸大裕)
みなさんこんにちは。今日はお越しくださいましてありがとうございます。主演女優の海老原さんにお越しいただきました。

(海老原宏美)
どうも、今日はよろしくお願いします(拍手)

(宍戸)
今日はタイトルが「旅は道連れ-誰かがきっと助けてくれる」。海老原さんは、本当に旅が好きで、いろんなところに行ってます。世界十何か国ですか?

(海老原)
11か、12くらいですね、行ってま~す。最初が中学校1年が終わった春休みですね。そこから始まって、国内旅行は家族で小さいころから毎年必ず行ってました。私「旅行」と「旅」って違うなと思っていて、国内は「旅行」っていう感じなんですね。家族と一緒に出掛けて、温泉入ったり観光地に行って、楽しんで帰ってくるという感じだけど、「旅」っていうのはもっとアドベンチャーな、何が起こるか分からないとか、リスクがあるとか、新しいことにチャレンジするとか、何かに出会いに行くとか、そういうのが旅だと思っていて、「旅要素」というのは圧倒的に海外のほうがあるかなと思ってます。やみつき(笑)。

(宍戸)
一昨年は、トルコに。クーデターの日じゃなくてよかったですね。

(海老原)
行きましたよ。本当に(笑)。一昨年行って良かったと思ってますね。

(宍戸)
フランスにも行ってますよね。

(海老原)
フランスにはもう、ずいぶん前に行ったけれども。もう行けないですよね、あの辺はね(笑)。トルコは、3年前に「そうだ、社会福祉士の資格を取ろう」って突然思い立って、二年間大学に行き直して。通信なんですけど「国家試験をもし一発で合格したら、自分へのご褒美にトルコ旅行」って決めてたんですね。そのずっと前からトルコにずっと呼ばれてる感じがしていて。「はやくおいで」って(笑)いう風に呼ばれている感じがしていて。「もう絶対トルコ」って、何となく決めてたんです。幸いにも一発で合格できたので、じゃあ行こうっていう感じで行ってきました。

(宍戸)
パキスタンとかね、アメリカ、フランス、トルコとか、なんかそういう、結構アブナい、いろいろある国に行って…。

(海老原)
いや、行ったときは平和だったから(笑)。あの後、危なくなったからね。

(宍戸)
海老原さんが行くと、アブナくなるっていう、ね(笑)。

(海老原)
そうですね。気をつけたほうがいいですね~。大分とかも、行った後に大地震来たでしょ。私、じっとしてたほうがいいのかな。

(宍戸)
じっとしてたほうがいいかも(笑)。

(海老原)
え~(笑)

(宍戸)
最初の旅が、高校一年生の時の大阪。

(海老原)
大阪。イベントに参加しに行ったので。

(宍戸)
障害者甲子園。

(海老原)
そうですね。障害者甲子園と言って、今私が働いている自立生活センター、CILっていうのが全国各地に120ヶ所以上あるんですけど、関西にある自立生活センターが主催したイベントで、障害者甲子園というのがあるんですね。それに、高校一年生の時参加することにしました。
全国の障害を持った高校生が集まって、寝食を共にしながら日々考えてることとか感じてることをディスカッションしたり交流して仲良くなるというイベントだったんですけど。参加条件が「会場まで一人で来ること」っていうことだったんです。私、それまではどこに行くにも親に車で送っていってもらうことがほとんどだったので、電車に一人で乗ったことが無かったんですね。「上り」「下り」の意味が分からないし、なんとか線ていうのも全然分かんないし。「どちら側のドアが開きます」って言われるけど、そんなんこっち見たら右だしこっち見たら左だし、みたいな。もう全然分からないの。

(宍戸)
僕もあれ、最近分かりましたね。

(海老原)
うっそー!

(宍戸)
進行方向に向かって右、左なんですよね。知ってました?(笑)みなさん、頷いてます(笑)。

(海老原)
うちも全然知らなくて。アナウンスされても「意味ないじゃん」「結局わかんないじゃん」て思いながら乗ってたんです。そんな感じで、初めて一人で出かけたというのが高校一年生の時で、私、それですごく印象的だったのが、そのイベントの内容がどうこうというよりもまず、一人で電車に乗る時、切符を買ったりする時、いろんな人に頼むんですよね。介助者がいないから。いつもだったら親がピッて買ってくれるんだけど、いないので、自分で「どこ行きの電車なのか」っていうことを調べて、その辺にいる人に「ちょっとすいません、どこどこの駅までの切符をいくらで買って下さい」って。で、「車いすのここにお財布が入ってるから、出して買ってもらえますか」って頼むわけです。そうするとすごい一生懸命、みんな「どこですか」「どうしたらいいですか」って言って、手伝ってくれる。
あとは駅員さんが、私の目をまっすぐ見て「どちらまでですか」「なにを手伝ったらいいですか」っていう風に聞いてくるんですよね。今までは、誰か親なり大人が必ずついていたので、周りの人はその大人に向かってしゃべるんですよ。「どうしたらいいんですかね」「何しましょうか」って。私はそこにいるのに全然無視されている感じっていうか、「いないこと」にされている。
私はそれがずーっと普通だったからあまり気にしなかったんだけど、一人で初めて外出をして、自分に話しかけられるっていうことがすごく新鮮で。いかに自分が今まで無視されてたか、そこにいないものにされてたかっていうことを認識できた、っていうのがすごく印象に残っています。
それならもっと自分がやってかなくちゃ行けないんだな~っていう風に思った最初のきっかけになったのが、障害者甲子園なので、それはすごく「旅」的な感じだったですね。

(宍戸)
今日の介助者の西さんです。映画で見たことがある、助演女優です(笑)。西さんに駅員さんが話しかけるっていうことは、まずないですか?

(海老原)
あります(笑)。あるよね?しょっちゅうある。誰かがついてると、やっぱりそっちの人に話しかけたほうがいいかなって思うのかな。

(宍戸)
ちょっとお客さんに聞いてみましょうか。いかがでしょうか?

(参加者)
多いですね。付き添いの方に、行きますね。

(海老原)
その時、なんて言うんですか?

(参加者)
ほっときますね(笑)

(海老原)
そうなんだー(笑)

(宍戸)
「僕に向かってしゃべってください」とか、言いませんか?

(参加者)
あ~、言わないですね。「別にもういいかな~」って思って。

(海老原)
私も、「いやいや、お客はこっちでしょ」みたいに、言う時と言わない時とあります(笑)でも、うちがしょっちゅう駅員さんに「いやこっち向いて話して下さい」と言うのを知ってる介助者は、「本人に向かって言って下さい」っていう風に言ってくれたりしますね。
この4月から差別解消法って始まったのご存知ですか?「障害者を差別してはいけません」っていう法律が出来たんだけど、本人じゃなくて介助者に話しかけるっていうのは、差別にあたるんですね。なので、パンフレット持っといて、マルとかつけてパッと配れるようにしとこうかなって思ったりもするんですよね。「差別ですよあなたの態度は」って法律で裏付けられたので、ちゃんとしてほしいですね。

(宍戸)
旅をしていてトルコでも、高校でも、映画の中でも、八王子の小学校に行った時も、子供たちがワッショイワッショイ、担いで神輿みたいにやってますよね。どこでもあれですね。

(海老原)
どこでもあれですね(笑)。トルコ行った時も、なんかすごいオーシャンビューな、オーシャンじゃないか、海峡ビューなレストランに行った時に、そのレストランに階段があったんですね。どうしようかなと思って、その辺にいた人に「ちょっとすいません」「運んでください」って言って、ガタイのいいおじさんたちに運んでもらったりしましたよ。

(宍戸)
だれでも助けてくれるもんですか?

(海老原)
みんなニコニコして。「やったぁ」って、やってくれますね。頼まれたり誰かの役に立った時って、すごい嬉しくないですか?無理なことは難しいけど、ほんのちょっと何か手伝って…落ちたものを拾うとか。「どうもありがとうございます」って言われたら、嬉しくないですか。誰でも人の役に立ちたいって思ってるのは世界共通で、それは全然問題ないです。断られたこと、ほとんどないですね。

(宍戸)
まぁ、僕なんか自力でなんでもやろうとするじゃないですか。自力でやるのが当たり前、っていうか。やれないと「なんで?一人前じゃないんじゃない」みたいな風になってしまう。人に頼むのが自然に身についてますよね。

(海老原)
そう。私これ、「人サーフィン」って呼んでるんですけど。昔っから人の手を借りながら生きているので、頼むっていうことにそんな抵抗感ないんですよね。頼んだらやってくれるっていう、なんかもう…根源的な信頼がある、っていうのもあるんです。
中にはすごい忙しい人だったりとか、「ちょっと今、急いでるんで」って言って断る人もいるけど、それはそれなので。基本は誰かの役に立ちたいっていうことは、分かってるので、面白いなと思って頼みます。でもこれ、日本人独特なのか分かんないけど、「自立」っていうのが「なんでも自分で出来ること」っていう感覚が、結構根強いのかなぁと思っていて。
トルコに行った時にね、「アヤソフィア」っていう観光名所があるんですけど、そこの上に上がったり下がったりする時に、ちょっと階段が一部あったんです。途中まではスロープや螺旋で降りてくるんだけど、最後は階段なんですよね。私、介助者二人連れて行って、一人添乗員さんがいて、もう一人は現地のガイドさんがいたんです。四人いれば車いす運べるので、その四人が「あ、ここ階段だ」って言ってパッと運ぼうとしたんですね。
でも私が「階段だ」と思ってちょっとこう、止まったら、観光名所なのですごい観光客がいっぱいいて、周りの人たちが「手伝いましょうか」って言って、パッと手を出したんです。だけど、私の周りの四人が「あー大丈夫です、自分たちがやりますので」って断ったんです。「なんだ、せっかく触れ合えるチャンスじゃん、現地の人と」って思って、私はその断った介助者たちを、また断って(笑)。
「いやいや、手伝ってもらおうよ、せっかくだから」って、周りの人を巻き込んで「せっかくやろうって言ってくれたんだから頼もうよ」って言って、頼んだんですよね。そういう現地の人との触れ合いっていうのが、自分が海外に旅をする時の醍醐味のひとつでもあります。

私が学校に行っている時代は介助員っていなかったんで、友達とか先生に頼まざるを得ないような状態だったんですよね。中学校とか高校になってまで親がそばにいるの、絶対嫌じゃないですか、子供的には。だからそれを断固拒否して、中学の時には女性の先生たちが全部介助してくれて、高校からは友達が介助してくれて。
高校もメチャメチャバリアがある学校だったんで、エレベーターなんか全然なくて、毎朝昇降口から登校してくる生徒を捕まえて。四人捕まえて、「ちょっと三階の教室まで上げてください」っていうのを三年間、やってましたね。

なんかそれで、「関わる」ってことがすごく大事だな、っていう風に思っていて。私は色々な人が手伝ってくれるようになることで、それで外に出て行けることが自立だっていう風に思ってるんですよね。「一人では何もできないから家の中にいるわ」って、「外行くのは怖いし、なんかあったらどうしよう」って言って、ずーっと家に引きこもって閉じこもってるのって、地域で生きてる意味あまりないな、と思っていて。どんなに人の手を沢山借りてでも、やりたいことをやる。どんどん外出ていくっていうことが、自立でもあるんじゃないかな、という風に思ってるんですね。
私、いろんな国に行った中で、アメリカがものすごく印象的で。あそこはまた不思議な国で、自分で出来ることがすごくいいことなんです。人の手を沢山借りるのはあんまり良くなくて、なんでも自分で頑張ってやりなさい。最終的には仕事が出来るようになって、働いて、タックスペイヤーになりなさい。税金を払えるように。

(宍戸)
納税者。

(海老原)
納税者になることがゴール、みたいな感じなんですよね。で、大学三年の時に短期留学をして、去年もアメリカに二週間くらい研修で行くことがあったんですけど、「なんでも自分でやれるようになるために環境を完全にバリアフリーにしましょう」っていう考え方なんです。
私、寮に入ってたんですけど、留学中は。もう全部ボタン一つでドアが開くとか、車いすのまま入れるシャワールームがあったり、教室のドアも足で、車いすの足先でボーンって蹴って、ボタンを蹴ると自動で開くようになってたりだとか、机も自分の高さに合わせたものを用意してくれるだとか、そういう風に周りの環境を変えて、一人でやりなさいって。…やりなさいってまでは言わないけど、「これで介助者がいなくても大丈夫でしょ」っていうのを整えていくんですね。それはそれで生活はしやすいです。人に頼むって、すごく疲れるんですね。気を使うし、労力も要るので。

(宍戸)
海老原さんでもそうですか(笑)。

(海老原)
そうなのよ、実は~(笑)。ニコニコ頼んでるけど、意外と気使ってるのよ(笑)。気使わなくていいし、自分で動きたい時にパーッと動けるからすごくラクで、自分が車いすユーザーだってことを忘れてしまうぐらいバリアフリーなんですね。タクシーも普通に乗れる、バスも乗れる、本当に困らないんですよ。でも、人との関わりってだんだん薄くなるな、っていうのもあって。ジレンマですよね。一方でアジアの国、パキスタンとか韓国に行った時は、環境が全然整ってないのでびっくりしますよ。エレベーター、結構あるんですけど、大体壊れてるんです(笑)。地下鉄に乗る時は、降りる駅に「エレベーターありますか」って聞いて、「壊れてないですか」って聞いて。でも、バリアフリーが整ってない国っていうのは、周りの人がパッと手を貸して、手伝ってくれるんですね。
パキスタンでも人サーフィンしましたからね。そのどっちがいいかっていうのは決められないですね。どっちも楽しい。

(宍戸)
整えば、人との関わりが減るし。人との関わりが増えれば、スピードがだいぶ遅くなる。

(海老原)
だけど、やっぱりこう関わって、ちょっと触れてもらうっていうことが、障害者を知るいいきっかけになると思うので。私はどっちかというと不便な国でいろんな人巻き込んで、ワァワァしながら旅する方が面白いな。観光名所見るより面白いですよ。現地の人と関わってる方が(笑)。

(宍戸)
実は今日、小田政利さんもお越しになってます。小田さん、凄いですね。本当に旅人で、九日からこの映画始まってるんですけど、連日ここに来ています(笑)。他に行くところのない旅人(笑)。

(小田政利)
うわああ~(笑)。ちょっと、そんな、僕は映画の中で「ちんちくりん」って言われてるぐらいで(笑)。え、旅の話?旅の話。

(海老原)
人生の旅でもいいよ。

(小田)
人生の旅。人生にそんな、ねぇ…。

(海老原)
私、野宿旅が趣味なんですけど、小田さんを野宿に誘いました。2007年。私、2001年に歩いて韓国縦断したんですよ。一か月間野宿しながら。それで障害が一気に重度化して人工呼吸器導入になったっていう、凄い経歴があって。世界で野宿しすぎて呼吸器ユーザーになったのって多分、私しかいないですよね(笑)。

(宍戸)
世界唯一。

(海老原)
世界唯一の呼吸器ユーザーと呼んでください(笑)。2001年に重度化して、夜間だけ呼吸器を使うようになって、でも野宿面白すぎて2007年にもう一回やったんですね。そしたらまた重度化して、今度は日中も使うようになったっていうね、もう野宿と呼吸器セットの人生を送ってるんですけど。
それで、2007年に小田さんを誘ったんです。小田さん、日本での旅だと勘違いしてたみたいで、なんか、気づいたら韓国にいたって言うんです。私は最初から言ってたよ、ちゃんと。

(小田)
いやいやいや。最初ね、人工呼吸器付けて、なんか野宿するとかいう話で、「これは僕も乗んないと~」と思って行ったら、気づいたら韓国へ行ってたっていう(笑)。初めての海外旅行、それが野宿旅ってどういうこと?みたいな。いいように乗せられてますけど。

(海老原)
あのね、小田さんすっごい雨男なんですよ。「嵐を呼ぶ男」なんですよねぇ。

(宍戸)
あんまりカッコ良くないですけど(笑)。

(海老原)
それで、一週間か10日の韓国野宿旅、全部雨で。「もう~、誘わなきゃ良かった」と。

(小田)
うわあぁぁぁ~!ひどぉ~!!こういう扱いですよ、皆さん。もう~(笑)。見ました?映画の中で、母親の遺影が出てきたシーン。あれ、実は撮影してくれたの家の中なんですけど、出来上がってみたら母親の遺影だけ(笑)。

(宍戸)
小田さんは一日取材させて頂いて。

(小田)
何時間も撮って頂いて、出来上がって見てみたら、母親の遺影だけ(笑)。

(海老原)
小田さん旅人だから、家の中にいる画ではね、ってことですよ。

(小田)
ありがとう。旅人。まぁ、単なる飲んだくれですけどね。居酒屋を旅してまわってるだけですけどね。

(海老原)
お互いにね。

(小田)
お互いにね。

(海老原)
ただ、小田さんとか私とか、そうやって旅するって言いますけど、特に飛行機に乗るってことがすごい大変なんです。私、一昨年のトルコも去年のアメリカも、実際に行けるかどうか決まるのが前日の夜だったんです。医師の診断書、この人は飛行機に乗っても死にませんよ、っていう証明書が必要なんですね。あとは、呼吸器っていうのは、飛行機に乗せていいものとダメなものがあるんです。私のは乗せていいやつ、小田さんが今使ってるのはダメなやつ。ということで、小田さんのは海外行けないよね?

(小田)
行けるようになった。

(海老原)
なったの!?おめでとうございます。

(小田)
ありがとうございます。

(海老原)
色々、登録が必要なんです。あとはバッテリーサイズ。何ワットアワー(Wh)までしか載せられないとか、とにかく侃々諤々で。すごい大変な思いをして、でもやめられないので行く、っていう。最後の最後まで行けると信じて準備する、っていう感じですね。

(小田)
人工呼吸器足元に置いたら、パーサーみたいな人が来て、「そこじゃダメ」って。人工呼吸器危ないからって。まぁ、確かに言われればそうなんだけど。「まぁいいや」って思って、僕の膝の上に乗せて、自分の手、このまったく力の無い手を人工呼吸器の上に乗せて押さえてるフリをしたら、「オッケー♪」とか言われて。

(海老原)
全然押さえてないじゃん(笑)。

(小田)
「いいのかぁ~?」とか思いながら。それで三時間ぐらいずーっと膝の上に乗せてたんだけれども。そうやって臨機応変にね、自分たちの場合何があるか分からないけど、臨機応変に動けばなんとかなる、っていうね。

(海老原)
まぁでも、その臨機応変ていうのも合わせてなんですけど、この会社ではダメって言われてるけどこの会社ではいいとか、日本だったらダメだけど海外だったらOKとか、もうそういうことがしょっちゅう起きるんです。
文化の違いもすごく面白くて。例えばパキスタン行った時なんかは、まず車いす、いないんですよね。車いすって、ほんとに珍しい。女性が外出してんのも珍しい。その上外国人で。「珍しものづくし」なので、ホテルから一歩出た瞬間に人だかりが出来るんですよ。それも遠巻きにじゃなくて、半径1メーターぐらいですよ(笑)。

(宍戸)
わらわら来るんですか(笑)。

(海老原)
わらわら。もうホントに「何かされるのかな」ってドキドキするんだけど、珍しいからただ見てるんです。みんな、こうやって。最初、何が起きたのかと思って「えっ」てなって、私が外に出るとすぐに人だかりが出来るので、現地の友達が私がどこにいるかすぐ分かるわけです。「あ、あそこだ」って(笑)。「ヒロミ~」って迎えに来て、「あぶないから~」って言って連れ出してくれるんですけど。

(小田)
いや、日本でも。

(海老原)
ある!?小田さん。

(小田)
新宿で酒飲んだ後、「ちょっとコーヒー飲みたいな」と思って喫茶店行ったら、段差が四段。「うわぁ~、これはこの喫茶店、入れないや」と思ったら、いきなり黒いスーツ着た体格のいい黒人の方が、5人くらい、僕のそばに寄ってきて。「俺、なんかやったっけ~?」と思ったら(一同笑)、いきなり「オッケー!!」とか言って(笑)。車いすガッと持ち上げてくれて、入れてくれるって。

(海老原)
でも、飲んだ後は待っててくれないですよね?

(小田)
まぁ、そりゃね。逆に怖いし(笑)。コーヒー飲みながら待ってられんの。

(海老原)
でも、外国人だったでしょ?手伝ってくれるのは。ワーッと来てくれたのって。なんか垣根が低いですよね、外国人のほうがね。

(宍戸)
日本では子供たちが電車とかでよく、ジーッと見てますよね。「あ~っ、なんだ~?」って。

(海老原)
見てる見てる。「なんかくわえてるぅ~」ってね。こっちも見返す、ニヤニヤしながら。いいだろ~っ、空気だぞ~って。子供は正直だからすごくいい。ニュージーランドに行った時なんかは、泊まってるホテルのオーナーの子供が庭で遊んでて、「ねーねー、なんでWheelchair(車いす)に乗ってるの?」って、普通に言って来るんですよ。
子供がWheelchairって言葉を知ってるし、すごく触れ合ってくれるの。子供も垣根がすごく低いなっていうのがあったしね。生活の違いで言うと、イスラム圏のトイレってビチャビチャなんですよ。拳銃みたいなウォシュレットついてるからビッチャビチャで(笑)。みんな汚れないようにどうやってしてるのかな、って思ったり。アジアで旅をしていると、向こうの人って一日三食がとにかく大事なので、どんなに疲れてても「ご飯食べよう」って言うんですよね。どんなに時間遅くなっても「あ、ご飯だよ」って言うんです。日本人は疲れてたら「もう食べないで寝ちゃおうかな」とか、「お風呂が先」だとか。
韓国で野宿旅してる時に、韓国メンバーと日本のメンバーとで、文化の違いがあるんですけど、一番大きかったのが、「ご飯とお風呂、どっちが先か」っていう、争いが起きるんですね。韓国メンバーは「早くみんなでご飯を食べたい」。日本人は「汗だくでベトベトだから早くお風呂に入りたい」。まぁお風呂って言っても公園の水道にホースさして、それを頭からかぶるっていうものなんですけど、それを早くしたいって言って。そこにプチ日韓戦争が起きるわけです。日本ではこれが常識、これが普通って思ってることが海外に行くと覆されたり、「あ、もっと大事なことあるんだな」とか、っていうのに触れ合えるのがすごく楽しくって。
とかく障害者っていうのは、日本では型にはめられて、枠にはめられて、っていうことがすごく多いんですね。「あなたは障害者だから特別支援学校行きなさい」とか、「あなたは障害者だから地域で生活なんかできないでしょう」とか、「看護師に診てもらいなさい」とか。小田さんなんか、バイタルチェックされてる?

(小田)
バイタルチェック、されてるよ。

(海老原)
されてるでしょ~。みなさん、やんないでしょ?そんなに毎朝。なんか血圧測られたり、しないでしょ。そういう風に「障害者はこうしなさい」「このほうが安全です」っていう型にはめられて生活してるんですけど。旅をして異文化に接したり、生活様式が違う人と接したりすると、そういう枠がどんどん壊れていくんですね。すごく自由な感じがする。「こんなでもいいじゃん」「こんなでもやっていけるじゃん」っていう風に、可能性が広がったり視野が広がったり、「どうにかなるさ」みたいな。なるべく全然違う文化のところに行きたいなと今は思ってます。だんだん行き詰ってきたりとか息苦しくなって来たりすると、「海外行こう」「リセットしたい」っていう風に、なったりします。

(小田)
海老原さんみたいにねぇ、海外って大きいところ行ってるけど、僕は都内をチマチマ動いてるだけなので(一同笑)。いや~、いいよねぇ。僕…普通に遊ぶって言ったら、なんだろうなぁ~。「みんな車いすだけどキャバクラ行こう」って言ってキャバクラ行ったのはいいけど、他の車いすメンバーには普通に接してくれてるのに、僕だけバイタルチェックされて(一同笑)。
来てるホステスさん、看護師さんらしくて、「大丈夫?」とか言って脈とられたし。「俺なんでここへ来てんだろう?」みたいな(笑)。

(海老原)
そう…。キャバクラっていう異文化でもそうなっちゃうわけね。

(小田)
普通に池袋のお店入ってる時もそう。他の車いすメンバーは入れさせてくれたのに、僕だけ。「ホルモン焼き」っていうお店だったにも関わらず、「うち、特別な“生もの”使ってるんで、お客様に何かあったらいけない」って言って説明が始まるわけだよね。一生懸命。別に食事制限受けてないし。みんな車いすの人、入ってるのに僕だけ入れない、みたいな(笑)。で、やっと入ったと思ってメニュー見たら50種類ぐらいの色んなメニューがあるのに、“生もの”たった三つしかないんですよ!(一同笑)。おかしいですよね、それね。ちょっと呼吸器ユーザー、そんな弱くないよね、うちらね(笑)。そんなこともあったりして。差別解消法じゃないけどね、ここでそういう偏見が無くなってってほしいなぁ~。

(海老原)
でもそれだけ世の中では、呼吸器ユーザー、特別な存在ってことですよ。

(小田)
そうだね、まだまだね。

(宍戸)
まぁ、見かけないですからね。日常で。なんかくわえてる人とか、なんかクダ巻いてる人(笑)。

(小田)
人工呼吸器見たときにこないだ言われたのが、「いいわねぇ、この車いす。階段上がれるんでしょ?」って言われて(笑)。人工呼吸器がでっかいエンジンに見えたみたい。「その車いす、いいわね」「いや違うんですけど」って。

(海老原)
そうね~。でも、呼吸器ユーザー自身が、やっぱなかなか出てくる勇気が持てないっていうか、「自分はすごく重度だ」って思ってて、「外に出たら危ない」とか、「飛行機はもうめんどくさいからいいかなぁ」ていう風に、自分の行動を制限してしまうってことも、すごく影響してると思うんですよね。でも、大丈夫なんで。「出てしまえばどうにかなる」っていうことが、すごく実感としてあるので、どんどん出てってほしいなぁ。まずは都内チマチマでもいいので。それが出来るようになったら、ちょっと地方に行ってみる、新幹線乗ってみる、飛行機に乗ってみる、ちょっと近場の韓国行ってみる、っていう風に。

(小田)
近場かい…。騙されてね(笑)。ありがとう。おかげで唯一の海外旅行、ありがとう。

(海老原)
まぁ勇気を持って、広げて頂ければという風に思います。

(宍戸)
今日はどうもありがとうございました(拍手)。

以上

(要点採録/文責 入間川仁)

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