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【報告】劇場トーク「逃亡記―療養病棟8年の記憶」(Part.12)

劇場トークのご報告、第12弾をお届けします。

【7月24日(日)】
テーマ;「逃亡記―療養病棟8年の記憶」
ゲスト;上野美佐穂さん(自立生活センターくれぱす・代表)、宍戸大裕(監督)

7-24

 

 

 

 

 

 

 
(宍戸大裕)
みなさん、こんにちは。今日は来て頂きありがとうございます。監督しました宍戸と申します。ここに椅子がなかったんで、立ってお話させて頂きます(一同笑)。今日お招きしてますのは、「自立生活センターくれぱす」の代表をされています、上野美佐穂さんです。

(上野美佐穂)
はじめまして。よろしくお願いします。

(宍戸)
よろしくお願いします。今日は、トークのテーマが「逃亡記―療養病棟8年の記憶」というタイトルです。今日なぜ、上野さんにお越し頂いたかといいますと、映画の中で渡部さん、海老原さん、それから新居君、皆さん「地域で生きていきたい」「自立して生きていきたい」っていう風に仰ってますけど、なぜ障害のある人がそこまで「地域で」っていうことを言うのか、ということを上野さん自身の体験を話していただく中で、皆さんに「そういう世界があるのか」と知ってもらいたいなと思いました。
上野さんは埼玉にある東埼玉病院というところで療養生活を8年、入院生活の経験があって。海老原さんも映画で語ってましたけど、「どうして地域で暮らすの?」って言われると。「施設に行ったら」「病院に行ったら」って簡単に言われてしまうけれども、実はそんなに簡単な場所じゃない、すごくしんどい場所でもある、ということなんですね。

(上野)
私はいま、自立生活をはじめて、埼玉で生活しているんですけど、自立したのは24歳、今から約ウン十年前です。で、その頃の病棟っていうことではないんですけど、その時から変化してきたことももちろんありますけど、私がいた時はもう本当に「人間らしさ」っていうのが奪われてたな、っていうのが一番思うことで。でも、そこにいた時代はそれに気づかなくて「それが当たり前」って。「私はそういう運命なんだ」って思いながらいました。すべてそれは運命。すべて受け入れなきゃいけないっていう。
どんなところかって言うと、皆さんあまり想像つかないかなと思うんですけど、私がいた時代っていうのは、全部一日のスケジュールというのが決められてて、トイレや食事の時間っていうのも全部一日の生活に組み込まれていました。なので、トイレという生理現象もすべて時間で決められているので、それ以外の時間にトイレをしたくなっても、させてはもらえない。
もし仮にさせてもらえたとしても、その後、私たちは「ブラックリスト」って呼んでたんですけど、あとあと怖いナースから「あんた時間外に行ったんだって?」って怒られてしまうので、みんなそれが怖くて本当に時間になるまでトイレを我慢するっていう感じでした。
トイレもプライバシーがないので、女性も男性も同じトイレに入ってます。カーテン一枚で区切って、女性が座ってカーテンを閉めた外に男性がリクライニングを倒して尿瓶をあてている状況だったので。異性介助、男性の看護師さんにお風呂に入れられてしまうとか。「嫌だ」って主張すると「介助してもらえてるんだから有難いと思いなさい」っていう風に言われて。そういう、介助を受けなければお風呂にも入れない、トイレにも行けない、逃げ道はない、ていうところで、そういう経験をしていました。

(宍戸)
15歳から23歳まででしたか。

(上野)
そこにいたのは、そう。24で出たので。

(宍戸)
全国にそういう病院があって、呼吸器を利用する人は、多くがそういう不自由な生活をされてるんですね。

(上野)
20年ぐらい前なので、まだ呼吸器自体も発達していなかったので、私たちみたいな筋疾患、まぁエビちゃん(海老原さん)とかもそうですけど、そういう患者さんは早くに亡くなることが多かったんですよね。呼吸器の普及によって長生き出来て、それはすごくいいことなんですけど、その分病院に入院している期間がみんな長くなった時に、地域に出られないので、患者さんがどんどん重度化していって、今はもう、そういう私たち、私がいた時代の患者さんたちがみんな寝たきりの状態で、いまもそういう入院生活を送っているという状況です。

(宍戸)
僕も実は先々月、上野さんの出身病院に行かせてもらったんですけど、「え、こういう人がここにいるの?」っていう…。元気そうだし。きょうもここに小田さんという、映画に出演して下さった方が来てくれてますけど、小田さんの方が凄く不摂生な生活をしていて、驚くほど不衛生だし(一同笑)。
「安心・安全」を求められるじゃないですか、病院だと。小田さん、もう死んでるよなぁ…と思うんだけど、小田さん、すんごい元気じゃないですか。病院が病人をつくってるんじゃないか、という印象がありました。

(上野)
私の同級生もまだ何人かそこで生活を送ってるんですけど、管理されているので、例えば筋ジスの進行性ですけど、車椅子に乗ったり降りたり、人並みの生活が施設内でも出来ればまだ機能的にも残ってるから…。でも、やっぱり起こす人がいない。起こす時間を患者さんにかけられない、ということで、どんどん寝てる時間を長くされてしまって、あげくの果てに起きられなくなってしまったっていう。同級生みんなそうなんですよね。
パソコンなんかも手が動かなくても口を使ったりできますし、本当にちょっとの力でパソコンも動かせるようになって、もっと地域に出る力もあると思うんですけど、外出とか自立のための準備の仕事に親御さんの力がないと病院からは出られないっていう条件があって、親の力がないと外出すらできないっていうので、みんなそこで、あきらめてる、親も高齢化して外出ひとつできないっていうので、自立生活をあきらめているっていう人がほとんどなのかな、と思います。

(宍戸)
病院ごとにいろんな決まりを作っていて、この病院ではできることもこの病院ではダメとか。親の許可も、親が80,90になってる場合や亡くなってる場合はどうするのかというと、そういう方は外に出れませんね、責任取れる人誰もいませんよね、っていう風に言われてしまうっていうのが、すごく理不尽だと思いますね。でも上野さんは24歳の時に出られて、今はかなりハッピーな暮らしで。

(上野)
そうですね、まぁ小田さんもハッピーだと思うんですけど(笑)、世界が変わりましたね。やっぱりこう、障害のある人も可能性が沢山あるっていうことを知りましたし、本当にこう、ある意味、障害がない方よりもすごいアグレッシブに生きているなぁって、自分としては実感してます。
施設にいたころは、例えば女性であるっていうことも考えてはいけない。異性介助を受けざるを得ない。プライバシーもないので、自分が女性であるって思えば思うほど精神的にしんどくなっていってしまうので、女性であるっていうことを考えないようにしてきたんですけど、自立してから恋愛もして、今はパートナーと呼べる相手と一緒に暮らしていたりとか、そういう中で、私の趣味がサッカーなんですけど、地元のチームを毎週追いかけていて。
なかなか障害者でこんな生活してる人って、多分、障害者も知らない。自立生活をしてる障害者を知らない人には、本当に「ええっ?」ってビックリされるんですよ。自立したばっかりの頃に出かけてたら駅員さんに「今日はピクニック?」って言われて…夜だったのに。ピクニック、こんな夜にいないよねって。障害者のイメージって、やっぱそうなんですよ。健全で、決められたことしかできない。本当はそうじゃなくて、自分で楽しいこともいっぱいしていますし、本当に障害のない人と変わらない生活が、まぁ介助者がいてこそ出来ることですけど。

(宍戸)
海老原さんと小田さんもそうですけど、街歩いてると「今日は病院ですか?」とか「お大事に」って言われると。別に大事にしなくても元気そのものなんですけど。よく言われます?

(上野)
言われます。この間も言われました。「おうちに帰るのぉ~?」って。

(宍戸)
なぜか子どもっぽい言葉を使ったりするでしょう。

(上野)
そうなんですよ。介助者はみんな「お母さん」でしょ。歳が私の方が上でも「お世話大変ねぇ~」「若いお母さんねぇ~」とか言われてますよ。

(宍戸)
元気ですからね。ご心配なくですね(笑)。地域で暮らしていても、たとえば映画に出てきた金子ゆかりさんという方は3日前にここに来て話をしてくれたんですけど、介助者との関係に迷っていて、自分の思いを伝えきれなくてガマンすることも多いと。
ガマンすればするほど介助者がいろんなこと、「ああやれ、こうやれ」と言ってくる。それでしんどくて、自分がこのまま生活続けていけるのか自信がない、ということを話してくれました。
小田さんとか渡部さんとか海老原さんてすごく特別なんですね、いまの日本では。ここまで真っすぐに自分の思いを伝えて呼吸器を付けながら暮らしてるっていうのは本当に珍しくて。そういうことが出来ずにいる人たちも沢山いるんですね。そういう人たちにこそ、地域で暮らしていってほしいなと思うので、そういうところの後押しが出来るよう、今後もこの作品を色々なところで上映していきたいと思っています。上野さんきょうはどうもありがとうございました。

(上野)
ありがとうございました。

以上

(要点採録/文責 入間川仁)

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