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【報告】劇場トーク「音のする場所で」(Part.14)

劇場トークのご報告、第14弾をお届けします。

【7月28日(木)】
テーマ;「音のする場所で」
ゲスト;小田政利さん(出演者)、末森樹さん(音楽)、宍戸大裕(監督)

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(宍戸大裕)
みなさんこんにちは。今日はお越しくださいましてどうもありがとうございます。監督しました宍戸と申します。映画音楽を作ってくれました末森樹さんと、出演してくれました小田政利さんです。(拍手)
お話する前に、どうしても、26日に起きた事件の亡くなられた方に黙祷してから始めたいなと思います。よろしければ一緒に黙祷していただければと思います。では黙祷。

-黙祷-

どうもありがとうございます。今日このトーク、10分くらいしかないので、本当に短いんですけれども、何を話そうかなと、昨日、一昨日と、色々…毎回、迷ってます。
毎日毎日、いろんな報道がされるうちに、本当に戸惑うというか言葉も全然出てこないな、っていう風に思ってます。実は僕、この作品を創りながら、東村山にある「さやま園」という知的障害者の入所施設も撮影してたんです。そこは100人規模で、津久井やまゆり園と同じ1964年に出来たところなんですね。
僕の撮影してた場所は、知的障害でも地域生活できるような人たちが暮らしているところで、やまゆり園はもっと重度の障害を持った方がいらっしゃったみたいなんですけど、なんか想像するだけでも「きっと逃げられなかったんだろうな」とか「どんな思いだったんだろう」って思って、すごく身がよじれる思いです。
今、すごく僕が気になってるのは、報道、最初の事件が起きた26日からそうなんですけど、彼ら被害者の名前が全然出てこないということと、顔が全然出てこないということ。今日、東京新聞を見てた時に、ようやく被害者12人の年齢と死因と性別が出ていました。
一番小さい方で19歳の女性、一番高齢の方で70歳の女性が犠牲になった。それぞれテレビ報道でも、顔も出ない、名前も出ない。本当に僕は、おかしいな、と思っていました。あの犯人の人が言ってた、”障害者っていうのは生きてる意味がない”、っていうようなことと、報道で彼らの名前が出てこないっていうことの根底にある同じような思想というのは、すごく共通してるなっていう風に思います。
名前も出せない社会でいいのかっていうこと。彼らのことを本当に知りたいです。僕はこの上映を通じて、「出逢う」ことが差別や知らないことを解消していくことだっていう風に思っていたんですね。でも、被疑者の人は、もうそこで職員をしてた。障害のある人と、もう出逢ってるんですね。見てたし、聞いてたし、話もしてた。でもああいう事件を起こしたっていうのは、どうしても、「出逢うってなんだろう」とか、「知るってなんだろう」っていうことをすごく考えさせられてしまって、思考停止状態です。小田さん、こんな感じなんですけど。今どういう風に思ってますか。

(小田政利)
はい。えーとね、本当はこの時間のテーマ、音楽だったんですけど、ちょっと、急遽、僕出るはずじゃなかったんですけど、出さしてもらってるんですけど。本当に犯人像だとか動機だとか、そっちのほうは散々テレビで何度も何度も何度も繰り返されてやっているので、その事はちょっと置いといて。
本当に今監督が言っていた通りで、亡くなった方たちが顔は出ず、まぁプライバシーってのがあるのかも知れないですけど、性別と名前だけ、ひとつずつ順番に紹介されていくってところで、報道の仕方っていうところではなんか、すごい色んな違和感を感じています。色んなニュースを見ていると、もう一日中流されてはいるけれども、障害を持っている者に関しての、「コミュニケーション取れない」だとか「動物みたいだ」と犯人が言っていたというような報道のされ方をしてますけれども、自分自身も障害を持っていて暮らしている中で、あのニュースっていうのはすごいなんか違和感、感じるんですよね。
犯人のことよりも亡くなられた人たちに対しての…なんか、なんだろうっていうのが…まだごめんなさい、自分もなんかあんまりまとまらなくて。ニュース見ていると「なんかおかしいな」っていう。

(宍戸)
そうですね、色んなコメンテーターとか報道とかが、例えば「彼らに人権がある」とか、「彼らは弱い存在だから守っていかなきゃいけない」とか、なんかすごく遠いことを言っていて。色んな障害者団体とかも声明を出してるんですけど、なんかすごくこう、多分もっと言いたいこといっぱいあるだろうなと。
あの人たち、本当に素敵なんですよ。「あの人たち」っていうのも違うんだけれども。僕が出逢って来たさやま園っていうところの利用者の人たちは一人ひとり面白くて素敵で。やっぱりそういう素敵な人たちに、いちいち「この人たちに人権がある」とか、なんかもっともらしいことをつけなくても、そんな手前のところまで社会があの事件から後退してしまったっていうのは、僕らは多分、あの19人の人たちだけの場合ではなくて、僕らの社会にとって大事なものが、大切なすごく柔らかいものが奪われたんだなっていうのを思って。で、これからどうやって取り戻していけるんだろうっていうのを、すごく考えてしまう。「尊厳」とか「人権」とかそんな大きな言葉じゃなくて、一人ひとりが奪われたんだっていうことを、すごく痛切に感じています。

(小田)
今回の報道の中で、本当にコミュニケーションも取れないとか「動物」とか色々いろんな言葉使われて、その先にあるものっていうのが伝えられないで、ただ単にあれを繰り返して繰り返して言葉を言われてしまうと、障害を持ってる者の生きている存在っていうものを、小さい子どもたちが…まだ先を読めない子どもたちがあのニュースを聞いた時に、障害を持ってる者はただいる…、どういう風に子供たちに受け取られてしまうのかなぁって。
まぁ確かに報道は事実だけしか伝えられないんだけれども、あの言葉を繰り返して終わらされちゃうっていうことに関する違和感っていうのを僕、今すごく感じていて。すごい背筋が凍るような、違う違和感を感じるんですよね。知的障害のある人っていうような形で終わって、あとはもう、コミュニケーション取れないだとか動物っていう言われ方をしてあの言葉だけで終わってしまって、あれを見た子どもたちとかはどういう風に障害を持ってる者に対しての記憶っていうのが残っていってしまうのかなっていう、なんか違った意味の怖さを感じています。

(宍戸)
語り始めたらもう時間になってしまうんですけれども、今日は末森さんの音楽を一曲。

(末森樹)
音楽の作曲とギターの演奏をしました末森樹と申します。一曲、演奏します。映画の中に流れていたんですけど、「麦色の日」という曲で、海老原さんと宍戸監督とある日ご飯を食べてお酒を飲んで楽しかった日の翌日に作った曲です。
テーマ曲、よく流れてくる軽快な曲は、海老原さんの明るいところを見て創ったんですけど、この曲はもうちょっと一緒にご飯食べたりして、もっとあたたかさとかそういうところをイメージして創った曲です。よろしくお願します。(拍手)

-演奏-

(小田)
本当に、障害あるなし関係なく、将来あるなし関係なく、本当にこの曲、その時にいろんな人がいて、末森さんが生んでくれた曲なので、今この時、人と人っていうところで、命と命っていうところで、この曲、みなさんの心の中に、今のニュースじゃなくて、この曲がみなさんの心の中に残ってくれたらなぁって思います。

(宍戸)
そう思います。またいろんな人と出逢いなおしていきたいなと思います。今日はどうもありがとうございました。(拍手)

以上

(要点採録/文責 入間川仁)

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