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【報告】劇場トーク「風のゆくところ」(Part.16)

劇場トークのご報告、第16弾をお届けします。

【7月22日(金)】
テーマ;「風のゆくところ」
ゲスト;海老原宏美さん(出演者)、小田政利さん(出演者)、宍戸大裕監督

(宍戸)
みなさん、こんにちは。今日は雨の中お越しいただきありがとうございます。監督しました宍戸です。今日は小田政利さんと海老原宏美さんと一緒に話を進めたいと思います。

(海老原)
みなさん、こんにちは。平日にも関わらずたくさんの人にお集まりいただきとても嬉しく思っています。ありがとうございます。海老原宏美です、よろしくお願いします。

(小田)
映画の中で、みなさん気がつきました?僕、ちょっとだけ映っていたんですけど、おまけに「ちんちくりん」とか言われていたんですけど。気がつきました?はい、今日は出るはずじゃなかったんですが、急に海老原さんに一言「出て」って言われてこの場にいます。小田政利です。よろしくお願いします。

(海老原)
毎回トークをつけていて、トークの担当を割り振っているんですけど、小田さんはトークの担当じゃない日もほとんど全部来ているんですよ。なんでなの?(笑)

(小田)
映画好きですから。

(海老原)
映画見てないんですよ。見てなくてアップリンクの階段の上で外を眺めているんですよ。小田さんどんだけ家の中にいるの嫌いなんですか?

(小田)
家よりは外の方が好きかな。

(海老原)
雨でも?

(小田)
雨でも。

(海老原)
嵐でも?

(小田)
嵐でも。

(宍戸)
最近はアップリンクの職員の方も「小田さん入ります」と名前覚えてくださってますね(笑)。

(海老原)
私たち呼吸器ユーザーとしての存在をなるべく外に知ってもらいたいという思いで、いろいろ外に出ているんですけど、小田さんそういう意味ではカリスマなので、すごく天気の悪い日でも必ず外に行きますよね?

(小田)
まぁ、雪さえ降らなければね。

(海老原)
あ、雪の日は出ないんだ。

(小田)
さすがに雪の日は難しいかな。台風の日は出ているかな。

(海老原)
小田さん、「超・雨男」なんで、嵐を呼ぶんですよ。すごくて、室内にいるときは雨が止んでいるのに、出た瞬間から降るとか、もう神なんですよね。

(小田)
よく言われるね。「砂漠に行ったら」とか言われる(笑)。

(海老原)
神扱いされると思う。地球の緑化に貢献できると思う。

(宍戸)
今日も来るはずじゃなかったのに、来ることになって雨になったという。

(海老原)
本当にみなさんご迷惑をおかけしています。申し訳ございません(笑)。

(小田)
すいません。なんで俺謝ってるんだろ(笑)

(宍戸)
この映画を作り始めたのが2014年の1月で、僕は初めて会った人工呼吸器ユーザーがこのお二人だったんです。それまで障害のある人が自立して地域で暮らすっていう運動とは出会っていたので、いろんな人とめぐり会いましたけど、呼吸器ユーザーとはまず出会わなかったですね。

(海老原)
あまり見かけないですよね。

(宍戸)
見かけないです。

(海老原)
呼吸器ユーザーを街で見かけたことがある方はどのくらいいらっしゃいます?

(宍戸)
よかったら手を上げていただけますか?お一人、お二人ぐらいですかね。

(海老原)
でも私たちも仲間内ぐらいでしか見ないですよね。この映画をつくろうと思った最初のきっかけが、呼吸器ユーザーももっと外に出たら良いのになと、地域で生きてる呼吸器ユーザーもいることを社会に知ってもらおうという活動はもともとしていたんですけど、にわかに尊厳死法を制定しようという動きが国の中から出てきたんですね。
大切なポイントとしては、私たちの団体では“尊厳死”自体に反対しているわけじゃないんですよ。いろんなことを考えて、いろんな人に出会って、いろんなことを試して、相談して議論して最終的に決めた尊厳死というのは本当に尊重されるべきだなと思うんですけど、その尊厳死というものを法律として「こうこうこういう状態だったら尊厳死を認めましょう、認められるようにしましょう」というマニュアル化された法制化っていうことに疑問を感じているんですね。
小田さんは本当に実体験として、危うく、もういなかったところでしょう?

(小田)
法律がもしあったら、僕はここにはいませんでした。下手したらこの映画もできていませんでした。僕もこの映画をつくろうと言った言いだしっぺで、海老原さんが言ってくれたように、「僕も人工呼吸器はつけないでくれ」と言っていた一人です。
でも、家族が決めて人工呼吸器をつけてくれたおかげで、医師からは「呼吸器つけても植物状態で二度と意識は戻らない」と言われていたのを、家族が「それでもつけてください」と言ったおかげで、いまここにいます。医師の言葉とは反対に、僕は2~3時間後に意識を取り戻しました。

(海老原)
みんなびっくりしただろうね。「あれ?」って。

(小田)
先生も僕の顔みて「あれ?」ってびっくりしていました(笑)。だから法案の中で専門の医師が、二度と治らない状態と判断した場合に、この法案が適用されるということなんですけれども、僕はもしその法案が出来てたら、今はいなかったっていう話です。

(海老原)
小田さん、条件は完璧でしたもんね。だって、医師は「もう無理ですよ」と言っていて、小田さん本人も「呼吸器なんてつけないでくださいね」って言っていて、それを家族がやぶって、無理やり「それでもつけてください」と言ったら生き返っちゃったという。

(小田)
死んではいなかったから。殺さないでくれる?(笑)

(海老原)
そうかそうか、それは失礼しました(笑)。
でも本当にお医者さんの言うことが、100%正しいということは全然なくて、私も「3歳までの命」と言われていたんですね。それがもう何倍生きてる?っていう感じで、同じような障害の方で同じような経験されてる方がいっぱいいて、「私も15歳までって言われた」とか。でも日々医療が進化していて、良いお医者さんに出会えるかどうかもすごく影響していると思うんです。
小田さんはなぜ呼吸器をつけたくなかったんですか?

(小田)
僕は、死にたいわけじゃなくて、テレビの報道番組なんかでやっているのは、呼吸器なんてつけたらすごく家族に迷惑がかかると。声も出ないしね。それしか情報がなかったんで。でも声とか食事とかよりは、「まずは家族に迷惑をかけたくない」と、それだけで呼吸器はつけないでと。

(海老原)
呼吸器をつけたくない、怖いという人の大半の人は、やっぱり周りにそれだけ迷惑をかけて生きているのはつらいと言うんですよね。それって本人が死にたいわけではなくて、とにかく負担をかけたくない、迷惑になりたくない、役立たずになりたくないっていう気持ちがすごくあるわけで、だったら迷惑かけずにすむ社会環境をまずは整えていくべきなんじゃないかと。死にたいって思ってしまわないような環境ってつくることができるんじゃないかっていうのがこの映画のスタートだったんですね。そんな思いを2年前に監督に言って。

(宍戸)
本当にそうだなと思いましたね。迷惑かけることは僕だって迷惑はかけたくないな、でもどこか安心して迷惑をかけたいなと、そういう社会であって欲しいなという思いがあって、何かをすること、何かになることが今の日本の社会では常に求められているような、そういう息苦しさを感じてて。
1回転落したらもう戻れない、役立たずのグループに入って、お荷物組み。僕みたいに映像のようなお金にならないことをやっていると、だいたいお荷物組みの一員ですからね。生産性ないですからね。仕事が遅いと叱られてばかりで。他人事じゃないというのが実感でしたね。だから自分のことを伝えるように皆さんを撮りはじめたというのが、始まりですね。

(海老原)
撮ってみてどうでした?

(宍戸)
僕は最初にお会いしたときに、「ところで宍戸さんだったら人工呼吸器つけますか?」と海老原さんに聞かれたんですよ。僕は想像もしていなかったので、「いやー、迷惑かけちゃうからつけないかなー」と言っちゃって(笑)

(海老原)
目の前にいるのに(笑)。

(宍戸)
目の前にいたのに、「ちょっと怖いですね」とか言っちゃって(笑)。
でもそれから出会ってきた人たちは、家族や支援者や、周りの人がいることで「あなたがいて欲しい」「あなたがいることで私たちは嬉しい、楽しい」という人たちだったので、自分も周りにこういう風に思ってくれる人たちがいれば、人工呼吸器をつけて生きていくことも選んでいくかなと思いましたね。
なかなかそうじゃない人もいて、今回映っていた人たちはみんな家族に囲まれているし、明るいし、強気だし、切り開いていく力もあるし。でもつけないという選択肢をとっている人たちもたくさんいて、それが一方の現実なんですね。

(海老原)
私が聞いているのでは、映画に出てきた渡部さんはALSという障害ですよね。渡部さんはちょっと特殊なパターンで、何十年もあんまり進行していないっていう。大体進行が早いんですよね、ものすごく。それでALSを発症した人たちの特に女性というのは、なかなか呼吸器をつける選択をしづらいんですよね。なぜなら介護をするのが家族なので、女性がALSになった場合、旦那さんが介助をしなくちゃいけない、ってなるじゃないですか。
まだ日本では男性の方が多く仕事をしていて、仕事を辞めざるを得なくなってしまう。仕事しているから介護が出来ないとか、やっぱり負担感が大きいんですよね。女性で呼吸器つけて生活していく選択をする人は本当に少ない。ALSの当事者全体でも7割の人が呼吸器をつけないそうです。女性でいうともっとその割合は高くなるそうなんですね。
それは本当にALSになったから、もうしんどいから死にたいですということではなくて、介護力が全然足りないというところからスタートしているのかなと。すごく残念ですよね。
けっこう迷惑なんでしょうか?私たち(笑)実際、どうなんでしょうかね?私たちが生きていて。周りの人はどれくらい迷惑に思っているんだろう?(笑)実態調査をしてみたいですよね。自分たちが迷惑をかけているだろうなと思う度合いと、周りの人があなた本当に迷惑だよ、と思っている度合いと、比較してみたいですね。

(宍戸)
呼吸器をつけている人でも、地域で暮らしていても、自分自身の人生を掴みきれていないという人もたくさんいて、映画に出てきた金子ゆかりさんはいまもヘルパーとの関係に悩んでいると。自分がどこまで主張していいのか、主張しすぎると傲慢な利用者に思われるんじゃないかと。でも主張しないとどこまでも介護者が「あれ食べなさい」「これ食べなさい」「早く寝なさい」と言ってくるというそのしんどさにおののいていると言うか、やっぱり命を預けているんですよね。

(海老原)
そうですね、命を預けるというか、私は全介助なので生活動作の一挙一動に全て介助がいるわけですよね。本当にどうでもいいことで言えば、こうやって手を組んでいるのをちょっとこうしたいとか、ということも頼みたい。でもこれを言うよりは、我慢した方がよいのかなとか、そういうちょっとした我慢が積み重なっていくことが、日常的にあるんですよね。まぁ今はいいかな、ってことがすごくあるんです。
でも金子さんは、その「まぁいいか」がどこまでが「まぁいいか」なのかが分からなくなっちゃっていて、一昨日のトークは本当に面白かったんですけど、彼女が正直な気持ちをたくさん話してくれて。
「ちょっと出たい」「ちょっと何かしたい」そこに大きな理由はなくて、なんとなくということを皆さん日常的にたくさんやっていると思うんですよ。でも重度障害者で全介助だと、なんとなく何かするということを、どこまで自分が言っていいのか、こういうことを言ったらわがままかな?とか、そういうことにすごく悩んでいる。
「ちょっと夜風に当たりに外に出るっていうことが夢です」ってすごくないですか?すごくショックと言うか、やればいいのにな、って思うんですけど。そういうところで停滞している呼吸器ユーザもまだまだたくさんいるんですよね。それが本人の主張不足なのか、介助者の育成不足なのか、それとも支援者の力量不足なのか、その辺がすごく複雑なバランスなんだと思うんですけど。
小田さんなんか、平気で終電逃しますからね。終電を逃してネットカフェで一晩過ごすとか、呼吸器のバッテリーが切れてピーピーいいながら、夜中の公衆電話の電源を抜いてそこで充電したりやっているんですよ。金子さんとの違いがなんでここまで、みたいな(笑)。

(小田)
この間も電気料金滞納して、電気止められちゃって充電できなくなっちゃって(笑)。

(宍戸)
そこはちゃんと払いましょうよ(笑)。

(小田)
逆に“家にいられなかった”という・・・(笑)そんなこともありました。

(海老原)
どこでそんなギャップが出てくるんでしょうね。小田さんはいつからそんなになっちゃったんですか?

(小田)
自分がその時に置かれている状況って、支援者や周りといろいろ話をしているし、理解してくれているというのもあるし、飲んだくれてても、みんな黙ってあちこち居酒屋とか連れて行ってくれるし、金子さんのところに集まっている支援者の人たちはどうなんでしょうね?自分たちは結構すぐに言っちゃうからね。

(海老原)
すぐ言っちゃいますね。小田さんはすぐに行動しちゃうタイプだからね。

(小田)
しゃべるのが苦手だからね。

(宍戸)
公開以来ずっとアップリンクに来続けているという・・・。

(小田)
何かしゃべるわけでもなく。

(宍戸)
本当に行くところがないんだなーと、心配になるんですけど(笑)。

(小田)
違う意味でさびしい人生みたいじゃない(笑)。

(海老原)
小田さんには、世界初のホームレス呼吸器ユーザーみたいになって欲しい(笑)。

(小田)
野宿はしてるけど。

(海老原)
そうそう、私と小田さんは野宿旅仲間なんですよ。仲間っていうか、私が無理やり連れて行ったんですけど。面白かったね。

(小田)
最初、人工呼吸器をつけていてもどこでも住めるよという意味で、「野宿やるよ」って言われて、「その企画おもしろい!」って乗ったのは確かなんだけど、気がついたら韓国。日本でやるのかと思っていたらいつの間にか韓国に連れて行かれてて、一言も言わないからわからないから・・・。

(海老原)
言った言った。韓国だよーって。聞いてなかっただけだから。
まぁ、でも「こういう生活が出来るのは海老原さんだからだよ」「小田さんだからだよ」って言われることがやっぱりあるんですよね。「自分の言葉で主張できるから」とか、「行動力があるから」とか「良い支援者に恵まれているから」っていうふうに言われることがあるんですけど、やっぱり「○○さんだから」と諦められてしまうのは残念なので、まぁ終電逃せとは言わないですけど、自由に外に出たいときに出て行ける、こういう生活がしたいということを実現できるような空気、風をどうやったら社会にもっと届けていけるのかなっていうふうには思っていますね。

(宍戸)
そうですね。療養病棟というところで人工呼吸器をつけている人たちが、もう10年、20年とベッドの上で寝て、パソコンだけを使いながら生活している方が全国にいらっしゃるし、今回取材を求めてお断りをされた方もいますし、それは人工呼吸器をつけないという選択をされている方たち、その背景に何があるのかというと、独身でなかなか支えてくれる人もいなくて、地域の社会資源もどんどん減っているというところで、そういう人たちのこともぜひ知りたいと思ったんですけど、もうその取材に応じる余裕もないといわれて、でもそれが本当で、海老原さんたちは珍しい人たちです。多くは諦めていたり、もうこれ以上は求めることが出来ないと考えていて、そういう人たちにもこんなふうに生きられるよというメッセージを伝えていきたいですね。

(海老原)
無理なんじゃないか、つらいと言う人たちにとって、尊厳死法というのが出来たら、格好のと言うのかな、「やったー」という感じなんですよ。これで心置きなく死ねると。誰にも迷惑をかけずに死んでいける、というふうに思ってしまうと思うんですよね。でもあなたは死にたいわけじゃないでしょ?って。環境が整っていないからつらいだけでしょ?っていうことを、リビングウィルを書いてしまう前に、やっぱり伝えなくちゃいけないと思っています。

(小田)
生きるための法律が出来る前に、死のための法律をつくるのはどうなのかなって。報道ステーションの番組の中で石原伸晃議員が、「社会保障の対策で何がありますか?」って聞かれたときに、前後の脈絡もないのに返した言葉が「尊厳死協会のリビングウィルを書きます」って。社会保障の対策でですよ。っていうことは、そういう人たちの命をなくしていこうっていう風にしか聞き取れないですよね。だからやっぱり、生きるための環境をどう考えていったらいいのかというところでこの映画を役立てて欲しいなって思いますけどね。

(海老原)
去年、アメリカに2週間研修に行く機会があって、アメリカって先進国って言われているし、どれだけ呼吸器ユーザーが地域生活を送れているのかなって、ちょっと楽しみにして行ったんですよね。そしたらほとんどいなかったんですよ。自立生活センターとか障害者運動をやっているリーダーに聞いたら、「病院に入っている」「保険制度が悪すぎて、呼吸器を在宅で使えない」、「重度すぎて働けない人は社会の中ですごく価値が低いんだ」と。
だからその中で生きているのがつらくて、自ら安楽死を選ぶ人がたくさんいるという話をされたんですね。それは尊厳死法だったり、安楽死法というのがあるから、それを選んでしまうんですけど、日本は法律がないので、良い意味でも悪い意味でも死ねないことになっているんですよね。
私や小田さんみたいな人たちが、終電を逃してプラプラしていたりすることで、呼吸器つけて地域で生きている人がいるんだ、って人目について分かりますよね。その人どうやって暮らしているのかなって思うし、良い意味で自分たちが死ねないで地域で生きていく選択をせざるを得ない時に、だったら地域の中でどうやったら地域で生きやすい制度に変えていけるかとか、仕組みを変えていけるかというふうに思考がシフトできるんですよ。
いかにうまく死ねるかではなくて、いかに心地よく地域で生きていけるかということを運動せざるを得ない状況でもある。

(小田)
尊厳死法の中で言ってる“リビングウィル”というのは医者にこうしてくれっていうものなんですが、それに基づいて医師が実行しても医師に責任はないというのが中身。でも呼吸困難になって人工呼吸器をつけなきゃいけない時を迎えるまでは、本当に心の中に葛藤があるんです。
つけて生きていきたい、家族と一緒にいたいという思いもあったり、家族に迷惑をかけちゃいけない、迷惑かけずにあの世にいきたい、つけないで欲しいと思ったり。その日のうちでも思いが移り変わるというのもあって、だから人の意思をリビングウィルを書いた1回だけで判断するのではなくて、常に最期の時を迎えるまで、その間際になるまでずっと意思は見ていってって欲しいなというのを自分たちは訴えているんです。
現に2年前に海外の話で、ブリタニー・メイナードさんという方がいらして、2年前の春にネットで全世界に配信して「私は脳腫瘍のために家族のことがわからなくなるのがいやです。安楽死します」と宣言しました。テレビのニュースでもやったんですけど11月1日に安楽死を実行されたのですが、2日前の10月29日に「私は2日後に実行します。でも11月1日をすぎてまだ生きていたら家族とともに生きていきます」ということを言っていたそうです。
そういうふうに決意を決めて全世界にネット配信した人でも春から11月1日まで、迷いに迷われて、やっぱり直前でも生きていこうかなって思ったっていう、そういう実例もありました。

(海老原)
私たちはその迷いを大切にしたいということですね。

(小田)
法律じゃなくてね。

(宍戸)
難しい話が続きましたけど、僕はお二人といて本当に楽しいんですよね。一緒にいると。一緒にいると楽しい人はずっと一緒にいて欲しいというのが、実感でした。海老原さんは渋谷に来るのは、かなり命を削っていますよね。小田さんは渋谷に来ると元気になるというのがありますけど。この差はなんでしょう。

(海老原)
生きがいなのよ。

(宍戸)
命を削らないで長生きしてほしいなと思います。3才までと言われて今、だいぶ過ぎていますけど。小田さんも長生きして欲しいな、小田さんはいるだけで面白いから、また面白いことをして欲しいな。

(小田)
今日は、母の命日なんです。映画の中で遺影を映してくれましたけど、あの撮影、実は家の中で3時間撮っているんですよ。できあがってみたら母の遺影しか映ってない(笑)。出させてもらって母も喜んでくれているかなと(笑)。監督ありがとうございます。

(宍戸)
お母さん、そっくりでしたね(笑)。楽しく生きていくことが、できる社会であって欲しいなと思ってこれからも色んなところで映画を観てもらいたいと思っています。

(要点採録/文責 西尾直子)

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