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【報告】劇場トーク「ぼくの存在意義」(vol.22)

昨年夏に行われましたアップリンクでの劇場トークのご報告、最終回をお届けします。

【7月21日(木)】
テーマ;「ぼくの存在意義」
ゲスト;小田政利さん(出演者)、宍戸大裕監督

 

 

 

 

 

(宍戸)
みなさんこんにちは。
雨の中お越しくださいましてありがとうございます。監督しました宍戸と申します。きょうは出演して下さいました小田政利さんとトークさせてもらいます。

(小田)
はい。きょう大雨の中来て頂いてありがとうございます。「雨男」と言われてるので多分僕のせいかと思うんですけど(笑)。

(宍戸)
きょうは小田さん、「ぼくの存在意義」っていうテーマをつけてました。これ、本当は22日までの上映予定だったので、締めのようなタイトルをつけたんですけど、2週延ばしてもらえたのでとりあえず中締めというような話を。このテーマをつけたのは、映画の中で小田さんが「自分がいる意味がいまだによく分らない」ということを仰ってて。この時期になれば何かでてるんじゃないかと期待して(笑)。

(小田)
その前に、皆さん気がつきました?僕、海老原さんに「ちんちくりん」とか言われてるの(笑)。かわいそうですね、私ね(笑)。存在意義もなにも無いですよね。どうなんでしょう、監督。

(宍戸)
いやいやいや。「ちんちくりん」そのものだと思いますけど(笑)小田さんと僕が初めて会ったのが2014年1月で、その時この姿で登場されて、「小田さんデカイな」と。

(小田)
デカイ?

(宍戸)
第一印象でしたね。

(小田)
海老原さんが隣にいるからね。

(宍戸)
お母さんが介護をされてた時期って、いつ頃までですか?

(小田)
33の時まで。多発性骨髄腫っていう骨髄のがんで亡くなるまで。

(宍戸)
それまではずっとお母さんが見てくれるんだろうと、家族が一緒に暮らしてればまあいいかなって、思ってた。

(小田)
ありえない話だけど、母親と同時期に一緒にあの世にいければいいかなと。まあ自殺って意味じゃなくて、絶対ありえないですけど病気なりなんなりでね亡くなれば良いかなって。それじゃなければ施設かどこかに追いやられちゃうかなあって感じでいたんで。
それ位漠然と思ってたんだけど。まあやっぱり順番というのがあって。僕の方が障害があるので先かなって思っていたら、やっぱり世の中の順番どおりで母親ががんになって、そのまま亡くなってしまって。
でも、存在意義ってところでは、僕の方が「存在してるだけでいいんだよ」っていわれて。逆に今度母親が亡くなるって時、病院で呼吸してるだけで意識がまったく無く、横たわっているっていう時に、やっぱり母親に僕自身が「このままでもいいからいてほしいな」って思いました。

(宍戸)
お母さんが亡くなった後に、小田さん呑んだくれるじゃないですか。

(小田)
はいはいはい。

(宍戸)
まあお母さん亡くなってなくても呑んだくれてたのかもしれないけど。

(小田)
くー(笑)

(宍戸)
まあ最近も呑んだくれてたじゃないですか、色々あって(笑)

(小田)
はい。呑んだくれてますね。

(宍戸)
そんな小田さんを間近で見ていて、とどろきさん(介助者に振る)。名物介助者のとどろきさんです。小田さんの介助をして4年。面白い人です。小田さんの身近にいて、「小田さんってしょうがないな」って思う時と、「小田さんって素敵だな」って思う時、ありますか?

(とどろき)
はいもう、いつも素敵だなって思ってるんですけどぉ。

(小田)
全然心がこもってない(笑)

(とどろき)
初めてお会いした時に、角度がこういう感じ(後に反り返る)じゃないですか。人ってこうやってる時って、偉い時ですよね(笑)。え、エライ人なのかなって。何言うのもエライ、エラそうな感じの。断れないですよね。どんな狭い居酒屋さんでも、どんなカウンターの飲み屋さんでも、「あそこ行く」って言ったらもう、必死に行きますもん。

(小田)
ありがとうございます。

(とどろき)
全部お客さんどいてもらって、モーゼのように。という感じで、日々呑んだくれてると。

(宍戸)
かなり狭い居酒屋の2階にも行くとか。

(とどろき)
行きますね、もう。中には車椅子と同じくらいのエレベーターとかあって、荷物全部降ろして。荷物半端じゃなく重いんですけど。全部降ろして、車椅子を垂直にして。ちょっと力があるという理由で、僕はいつも一緒に行くよう頼まれる(笑)。

(宍戸)
鍛えてるのは小田さんのために鍛えてるわけじゃない?

(とどろき)
いや小田さんで鍛えられてる。

(小田)
なんでよ(笑)

(宍戸)
小田さんの周りには面白い人が揃ってて、あえてカッコつきで「存在意義」なんて言わなくても小田さんの周りに人が寄ってきて。女性も寄ってくるみたいで。

(小田)
寄って来ないですよ、それならバラ色の人生でしょう。

(宍戸)
女性は去っていったんでしたっけ?(笑)

(小田)
(笑)なに落ち込ませたいの?そうですね、出会いがあれば別れがある、いや聴かなくていいから。こういう時色々考えますね。どうしてここにいるんだろうとか。

(宍戸)
それは失恋でそう思ってたってことなんですか?障害があって自分は何のために、ってことではなくて、失恋した痛みだったんですかあれは。

(小田)
映画の中で言っているのは、前職はプログラマーで情報処理をしていたんですけどその時は人と関わる仕事はしたくないなって思いながら、でも人口呼吸器をつけたら180度変わってしまって。
人と関わる、人の話を聞いたりだとか、海老原さんと同じような仕事をしていますので最初はやらないと思っていたことを今やっていて、人の話を聞いてみてうまくいく時もあれば悩んでしまうこともあると、何をやっているのかなーと思うことがよくありますけど。悩んじゃうとまた呑みに行っちゃうんですけどね。

(宍戸)
とどろきさんが担ぎながら。

(小田)
でも、自分が車いすに乗りながらも呑んだくれたりしながらも、人工呼吸器はどうしても難しい機械、医師や看護士じゃないと扱えない、病院じゃないと生活できないとかじゃなくて、こういう呑んだくれのおやじでも…

(宍戸)
ただのおやじ。

(小田)
うるさいなー(笑)ただのおやじでも呼吸器を使って、地域で暮らしていけるんだなってところでは自分の存在意義があるのかなーなんて思いながら。まぁ、自分で決めることじゃないんでね。今回のテーマは監督に決められてしまいましたが、僕の存在意義っていうのは周りが決めてくれることなのかな、って。
ただ存在意義が「ある」「なし」って、「ある」って言葉が出来てしまうと「ない」っていう言葉が出来てしまうので、言い方自体がよくないのかなって思うときもありますが。 どうですか監督?

(宍戸)
尊厳という言葉もそうでしたね。尊厳があるとかないとか言ってしまうと、「ある」って言ってしまうと「ない」っていう言葉が出てきてしまって「誰が決めるのそれ?」っていう話になってしまう。小田さんは、けっこう一人で呑みに行くじゃないですか。その時、愚痴を聞くのはとどろきさん?

(とどろき)
一緒に歩いていますと、急に会話が途切れるんですね。あれ?どこか外れたのかな?とか思うじゃないですか。そうしたら「あそこは、思い出の…」とか、はじまるんですよ。「あ、しまった…」と。地雷を踏んだらアウトなんですよ、介助者は。地雷は都内のいろんなところにあって、「あの喫茶店は…」「あの会場は…」って。

(宍戸)
それは元の恋人との思い出ですか?

(小田)
いろいろ思い出しちゃうんですね。

(宍戸)
今日は、すごくゆる~い話なんですけど、ぜひ質問とかご意見とかございましたら手を上げていただけませんか。

(お客さんⅠ)
15歳と20歳の障害のある子どもがいて、一緒に暮らしていると、存在意義を示せとか偉い人になって社会に貢献しろとかいうプレッシャーを感じることがすごく多くて。とくに個別支援計画というのがあって、サービスを利用すると「これから何をやりたいですか?」とか望みを書かされることがすごくあって。子どもが小さいときは適当に書いてごまかしていたんですけどこういうプレッシャーを日々、受けるんだろうなと思ってむしろ偉い人にはならないで、ぼやっとして生きていってほしいなと思ったりもして。昨日も学校から個別支援計画を立てるから書いてくださいとプリントがまわってきて。
やめてもらえないんですかね?どう思いますか?なんで書かなくちゃいけないんだろう。

(小田)
個別支援計画というもの自体が、その人の生活の目標はなんですかと、それを聞いてくること自体が間違いかなって思いますね。その子の存在意義を考えさせるようなこと自体がおかしいですよね。そういう目的自体がまずおかしいでしょって思いますね。僕なんか普段の生活がだらしないので、海老原さんのように、これだけきれいにきちんと生活をしている人がいると自分はもうこのままでいいなって。だらしなく生活していても生きていけるんだなって逆な意味で証明できるかなって思って。そういうのが僕の存在意義かなって(笑)。

(お客さんⅡ)
都内の大学を今年3月に卒業した者なんですけど、6年前にバイクで事故をして高次脳機能障害をもって、事故をする前とは全然、歩けるとかしゃべるとか、考える能力も落ちちゃって。当たり前にやっていたんですけど、その当たり前が当たり前じゃなくなっちゃって。この言葉に行きついたんですけど。映画を見ているときも当たり前が当たり前じゃないんだなって感じました。

(宍戸)
(書を見せて)「あたりまえ、それが意外とありがたい」。これはご本人で?

(お客さんⅡ)
はい、僕が当たり前という言葉にこだわっていて、ありがとうを言う機会が多くて、ありがとうって5文字だなってひらめいて。右足が曲げられない身体になっちゃったんで。この言葉に行きついたんですけど。

(宍戸)
ありがとうございます。この書もご本人が書かれていて、今もいろんなところで書を書かれているんですよね。

(お客さんⅡ)
はい、書いています。ご連絡先を教えていただければお送りすることが出来ます。

(小田)
当たり前って難しいですよね。自分にとっては普通の生活が普通に暮らしていけることが良いんじゃないかなと、自分はそれが一番良いんじゃないかなって思っています。誰もが「存在意義があるのかないのか」という問いがなくなる社会になっていってくれればいいなって思いますね。

(宍戸)
僕は人工呼吸器ユーザーって海老原さんと小田さんに会ったのが初めてで、それが2年前なんですけど。はじめに考えていた「”呼吸器ユーザー”のことを撮ろう」とか「”障害者”を撮ろう」というのはどんどん消えていって、「その人を撮ろう」「この人の生活を撮ろう」と思うように変わっていったのが僕にとっての当たり前だったのかなと思います。
どこか特異な一部分にフォーカスするのではなくて、全人格というか全体を撮ってその人を見てほしいということ、僕自身もそういうふうに見てほしいですし、どこか特異なところだけを見られるのではなくて全体を見てほしいなというのが僕にとっての当たり前かなと思います。今日はありがとうございました。

以上

文責 西尾直子

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