ニュース

訃報

監督の宍戸です。悲しいお報せをしなければなりません。
さる8月15日15時22分、映画にご出演くださった小田政利さんが入院先の病院でご逝去されました。享年55歳でした。

「風は生きよという」は小田さんの発案からはじまった作品です。呼吸器ユーザーの日常を伝える方法を呼ネットで相談していた際、「映画をつくる」というアイディアが小田さんの口から発せられたのがきっかけでした。2014年1月、映画取材のキックオフミーティングの場にいらした小田さんは茫洋として飄々として、”ふつう”のおじさんのようでありながらどこか規格外のスケールをもったひとでした。切れ味鋭い海老原さんと、おっとりとしてシャイな小田さんの掛けあい、息のあったやりとりはいつもはたで聞いていて可笑しく愉快でした。
21年の冬、海老原さんが札幌に入院中、小田さんとテレビ電話をつないだことがありました。しばらく他愛のないお喋りをしてから通話を終えると、「なんか、小田さんと話すと元気出るな」とつぶやいた海老原さんの気持ちがよくわかりました。小田さんは不思議とひとを包むあたたかさ、可笑しみのあるひとでした。こんなこと、本人に言っても「あら、珍しく褒めてくださるんですか~?宍戸さんにそんなこと言われるなんて大光栄でございます」なんて茶化されるに決まってるのですが。
同年12月24日に海老原さんが亡くなった翌朝、小田さんから東大和市にある焙煎珈琲屋さんのカシューナッツが速達で届き、「相変わらず間に合わないひとですね~」と言って泣き笑いしたことは仲間たちの語り草です。そんな日々があり、これからもそんな日々を送るのだと思っていました。呼吸器ユーザーや医療的ケアが必要な人の権利擁護など、これからも何事かを一緒に進めていくものと思っていましたし、小田さんもきっとそうだったと思います。

ひとが突然いなくなってしまうことがここ何年もつづいていて、その度身を削られる喪失を感じ茫然とします。小田さんの訃報を伝える日が来るとは思ってもいませんでした。小田さん、冗談でしょう?いまなら笑って許すからそろそろこの冗談、終わりにしてよ。そんな気持ちです。
「風は生きよという」をとおして、本当にあたたかく、愉快で、やさしい友人たちと出会うことができました。
さよならまでがひとつのストーリーだったなんて思いもしないままに。
「ありがとうございました」なんて別れの言葉のようだから、「小田さんまた」って、いつもの帰り際のように伝えてきます。

告別式は24日(木) 10:00~11:00 町屋斎場 で予定されています。

宍戸大裕

撮影:吉田敬三さん
▲ページの先頭へ戻る